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注意力完全化

今日の技術革新はストレスも生んでいます。スマホで簡単にイン ターネットに接続でき、古今東西の情報を掌中に収められます。しかし、絶え間ないアクセスは、多くの場合、犠牲を伴います。作家リンダ・ストーンはそれを「継続的注意力断片化」と表しました。つまり、あれもこれも知らなければと思う衝動です。それは慢性的な不安につながります。

愛に行列はない

構ってもらいたいとき、愛犬、ラブラドール・レトリバーのマックスは、私の物を取って、見せびらかします。ある朝、机で書き物をしていると、私の財布を取って逃げ去りました。ところが、私が気づかな かったと分かると戻って来て、私を鼻で突っつきました。マックスは、財布をくわえ、目を輝かせ、尻尾を振って、遊ぼうと誘います。

祈るように促される

聖書に挟んでいたメモだという写真を添付したメールが届き、そこには「以前、あなたのために祈るように促されたことがよくあったのだけれど、なぜかしら」と書かれていました。メモには「ジェームズの心と思いと言葉が守られるように祈る」と書かれ、3つの年が記されていました。

神に願いを

夫が癌だと診断され、癒やしのために、どう祈るのが正しいのだろうと考えました。世界中には、戦争、飢饉、貧困、自然災害など、深刻な問題を抱えている人がたくさんいるのです。そんなある朝、夫の謙虚な祈りが聞こえてきました。「主よ。どうか癒やしてください。」単純な祈りですが、心の叫びでした。神は人の切なる願いを十分にお分かりなので、複雑な言葉を語らなくてよいと再確認させられる祈りでした。

神におまかせ

ネイトとシェリリンはニューヨークの日本食レストランで「おまかせ料理」を堪能しました。料理人に何もかもまかせる食事は初めての経験で、リスクがあるようで不安だったのですが、彼らは板長の選択と料理を心から楽しみました。

あきらめずに祈る

祈りについてE.Mバウンズ(1835-1913)が述べた「祈祷は不朽」は、世紀を超え人々を励まします。1925年、山崎亭治師が翻訳した著書「祈祷の目的」(東洋宣教會出版)は祈りについてこう語ります。「祈祷を捧げたる唇は死のために閉ぢ、祈祷を感じた心臓は其の鼓動を止めることがあっても祈祷は神の御前に生きている。而(しか)して神の心はその祈祷の上に止まり、これを捧げた人達の生涯よりも長く、又その世紀よりも長く、又世界よりも長く生きるものである」。

干し草山の祈り

ウイリアムズ大学の学生サミュエル・ジョン・ミルズと4人の友人は、神が宣教師を増やされるように、よく祈っていました。1806年のある日、祈り会の帰り道で嵐に会い、干し草の中で雨宿りをしました。彼らの毎週の祈り会は「干し草山の祈り会」として知られるようになり、世界宣教運動に発展しました。ウイリアムズ大学にある記念碑は、神が人々の祈りを通して大きな御業を成されることを伝えます。

そっちは滑りやすい

スキーの初心者だった時、こんな経験をしました。ある日、息子の ジョシュについて、なだらかに見える斜面を滑っていました。私の目は息子の背中を追っていたので、彼が急斜面に入ったことに一瞬気づきませんでした。そして、突然コントロールを失い、猛スピードで斜面を下りました。最後はもちろん、雪の中に突っ込みました。

生きる、祈る、愛する

ジェシー・オーエンスは、1936年のベルリンオリンピックの数少ない米国黒人選手のひとりで、憎しみをあおるナチスと指導者ヒトラーの前で、4つの金メダルを獲得しました。彼はまた、両親の強い信仰に影響された勇敢なキリスト者でした。親しくなったドイツのルッツ・ロング選手は、ナチスの世論操作の中で、オーエンスの信仰から来る何げない行為に衝撃を受けたと言います。後に手紙にこう綴っています。「君と最初に話したのはベルリンだったね。君が地面にひざまずいた時、祈っていると分かったよ。…今、僕は、神を信じてもいいかなと思っている。」