Category  |  神を信頼する

悲しみの時に神を信頼する

末期がんだと分かったとき、「パパ・ジョン」と妻キャロルは、闘病生活をネットでシェアするように神に告げられたと感じました。弱さをさらけ出すことを通して、神が証されると信じ、2年間、喜びや悲しみ、そして苦しみを語り続けました。キャロルが「夫はイエスの腕の中に迎えられた」と書いた時、何百人もが、ふたりの大胆な分かち合いに謝意を表しました。ある人は「皆、いつかは死ぬのだから」キリスト者の死に対する考えは健全だと書きました。別の人は、ふたりに会ったことはないけれど、神を信頼する姿に勇気をもらったと書きました。パパ・ジョンは時に激痛に見舞われましたが、分かち合いは続きました。神がどのように支えてくださるかを伝えたかったからです。彼らはその証が神のために実を結ぶと信じていました。それは苦しみの中で「私は、自分の信じて来た方をよく知っており、また、その方は私のお任せしたものを、かの日のために守ってくださることができると確信しているからです」(Ⅱテモ1:12)と書いた使徒パウロを彷彿させます。

誉れが消えうせた

娘のメリッサを取り戻すことはできません。学校で楽しそうにバレーボールをする姿を見ていた幸せな日々の記憶は薄れていきます。彼女のはにかんだ微笑みを思い浮かべることも、時には難しくなりました。メリッサが17歳でこの世を去ったとき、彼女の存在という私の喜びに幕が下ろされたのです。

時をいつくしむ

蘇軾(そしょく・蘇東坡とも呼ばれる)は中国の偉大な詩人で随筆家です。流刑の地で満月を見上げ、弟を慕う気持ちを詩にしました。「人には喜びと悲しみ、出会いと別れがあり、月にも満ち欠けがある。古来より、何もかもが完全だったことはない。ならばせめて、愛する人が長生きしてくれて、千里の彼方にいたとしても、この美しい月をともに眺めていたいものだ」と。

人生の急流を下る

急流下りのガイドが「左側の人、全力で前へ向かって3回!」と叫びました。左側の私たちはオールを漕いで、激流の渦の脇をすり抜けました。この数時間で、ガイドの指示を聞く重要性を学びました。彼の明瞭な声によって、未経験者の6人が力を合わせ、急な流れを安全に下りました。

再び動き出した心臓

フィリップス、クレイグ&ディーンというゴスペル・グループは、2012年、ある心臓外科医の実話に構想を得て「テル・ユア・ハート・トゥ・ビート・アゲン(心臓に再び打てと告げよ)」をリリースしました。その医師は、患者の心臓を摘出して治療した後、元に戻して心臓マッサージをしましたが、心拍が再開しません。より強い手段を講じてもダメでした。そこで意識の無い患者の横にひざまずき、彼は言いました「ジョンソンさん、あなたの執刀医です。手術は成功で、心臓は治りました。後はあなたが心臓に再び打てと告げるだけです。」すると心臓が動き出しました。

永遠を見る目

友人のマデリンは、子や孫たちが永遠を見る目を持つように祈ります。心乱れる日々の後、娘が亡くなりました。マデリンは悲しみの中、家族が苦しみに飲み込まれて刹那的にならず、むしろ永遠の視点をもっていつくしみの神を信じ、希望に満たされるように祈っています。

神はどこに?

レラは癌の末期で苦しんでいました。夫のティモシーは、愛の神がなぜ、妻の苦しみを取り除かれないのだろうと嘆いています。彼女は聖書を教え、皆の相談相手になってきたのです。しかし「なぜ、こんな目に遭わせるのですか」と悲しみながらも、彼は信仰を離れません。「なぜですか。あなたを神に引き止めるものは何ですか」と率直に尋ねると、「忘れられない経験がいくつもあるから」と答えました。

バックアップ

サムは個人年金口座を、毎日2回、必ず確認します。30年間掛け金を払い、株が上がったおかげで、やっと年金だけで暮らせる額になりましたが、株価が下がらなければの話です。それで不安なのです。

導きが必要

研究者のケネス・ベイリーにとって、アンクル・ザキはただの友人ではありません。危険なサハラ砂漠の旅における頼みの綱でした。ベイリーと仲間たちは、案内人のアンクル・ザキに服従しました。彼らの態度は「我々は行く道を知らない。万一、あなたが道に迷ったら、ともに死ぬ覚悟だ。我々はあなたを100パーセント信じて、その指示に従う」と表明していました。