「しかし、…」
私たちは、2017年、ハリケーン・ハービーの被災地ヒューストンで復興ボランティアをしました。現地の人の励ましになればと願っていましたが、被害を受けた家や教会に被災者とともに立つと、信仰が試されているように感じ、また、強められもしました。
貫いた信仰
ハララン・ポポフの人生は、1948年のある朝、玄関の呼び鈴の音で激変しました。キリスト信仰を理由にブルガリア警察に逮捕され投獄されたのです。それから13年間、鉄格子の向こうで、力と勇気を祈りながら過ごしました。虐待を受けながらもともにおられた主を信じ、福音を仲間の囚人たちに伝え、多くの人が信じました。
決して遅すぎない
義母が心臓発作を起こしましたが、幸いにも処置が早くて助かりました。主治医によると、重症の場合、15分以内に適切な処置をした患者の生存率は33パーセント、それ以後は5パーセントだそうです。
いとしいもの
トールキンの三部作「指輪物語」(原題:The Lord of the Rings)に登場するホビットのゴクリは「いとしいしと」と言って力の指輪に対して狂気じみた執着心を示しますが、その姿は、今日の私たちの貪欲、執着、狂気を象徴しています。彼の姿に「人ごとではない」と思わされるのですから、まことに厄介です。ゴクリは、指輪に対する愛と憎しみに苛まれていますが、その声は、私たちの心の内にある飢え渇きの反映とも言えます。
主権者の介入
バーバラは1960年代のイギリスで、政府の養護を受けていましたが、16歳になった時、生まれたばかりの息子サイモンを抱えてホー ムレスになりました。行政の支援は15歳までだったからです。わらにもすがる思いで女王に手紙を書いたところ、何と返事を受け取りました。女王は彼女をあわれみ、家をくださったのです。
神が立ちはだかる
南アフリカの自然動物保護官ジャイルズ・ケルマンソンは、信じがたい光景を見ました。2匹のミツアナグマが、6頭のライオンを退けたのです。圧倒的な不利の前にもミツアナグマは引き下がりません。ライオンは簡単に仕留められると高をくくっていたでしょうが、カメラは堂々と立ち去るミツアナグマの姿を捉えていました。
神の迂回路
神に「ノー」とか「今は違う」と言われたら、がっかりします。神の導きを感じていたならなおさらです。牧師になった頃、自分の得意分野と教会の必要が一致している就職先がふたつ浮上しました。ところが結局、どちらも流れてしまいました。二度の失望の後、別の打診があり、数名の候補者の中から選ばれました。そして、13年間、その教会で牧師として仕えました。
嵐の中で
6人家族の家が火事になり、父と息子は助かったものの、父は重傷、彼の妻と母親、そしてふたりの幼い子どもは、亡くなりました。彼らは私たちの教会員です。悲しいことに、このような悲惨な出来事が繰り返し起こります。なぜ悪いことが良い人に起こるのでしょう。昔からあるこの疑問に、当然ながら答えは今も見つかっていません。
さあ、力を抜いて
ダーネルは痛いだろうなと思いながらリハビリテーション室に入りました。理学療法士は彼の腕を曲げたり伸ばしたりしました。また、違和感のある位置で腕を止めて数秒間支えては「さあ、力を抜いて」と優しく言いました。ダーネルは「さあ、力を抜いて」を毎回のセッショ ンで最低50回は聞いたと語ります。彼は、その言葉を思い出し、それは人生にも応用できることだと考えます。余計な心配をせずに、神のいつくしみと変わらぬ誠実を信じて力を抜くことができるはずです。