常に感謝する
マルティン・リンカートは17世紀、ドイツのザクセン州で30年以上、牧師として働きました。それは疫病が蔓延したり戦時中だったり、という時代で、ある年には4千人以上の葬儀を執り行い、その中には妻の葬儀も含まれていました。食料不足で家族と空腹に耐える日々もありました。しかし、絶望的な状況下でもリンカートの信仰は揺るがず、絶えず神に感謝していました。実際、彼の感謝は、多くの人に愛される「いざもろともに」(聖歌291番)という賛美歌を生んだのです。
神聖なデュエット
小学生の音楽会に行きました。子どもの隣には先生がいて、演奏を始める前には小声で指示を与えていました。そして、子どもが主旋律を弾くと、先生が伴奏を付けて曲を豊かにしていました。また、最後には軽くうなずいて、子どもをほめていました。
深く根ざした信仰
ニュージャージー州のバスキング・リッジ長老教会の横のホーリーオークは、樹齢600年以上で、ついに撤去されなくてはならなくなりました。最盛期には、ねじれた枝がうっそうと伸び、木の葉が風にそよぎ、木漏れ日が地面できらきらと揺れていました。しかし、本当に壮大なものは地中の根です。オークの主根は垂直に伸び、しっかり栄養を確保します。その主根から大量の側根が水平方向に伸び、水分と栄養分を補給し続けます。張り巡らされた根は、しばしば木そのものより大きくなり、幹を安定させ、その生命線となります。
力を抜いて
昔、父と木を切り倒し、ふたり引きのこぎりで引いて材木にしました。私が力任せにのこぎりを引くと、父は「力を抜いて、のこぎりに仕事をさせなさい」と言いました。
聖霊に波長を合わせて
グランドピアノの調律を見ていて、それが「ワルシャワ協奏曲」や「輝く日を仰ぐとき」などの素晴らしいメロディーを奏でた日々を思い出しました。しかし今は、調律が必要です。正しいピッチもありますが、半音高かったり、低かったりというものもあり、全体ではひどく耳障りです。調律師の仕事は、すべての鍵盤に同じ音を出させることではなく、各々の異なった音が音程と音階を形成するように調和させることです。
神を求める
夢のために頑張る人の姿は感動を与えます。知り合いの若い女性は最近、大学を3年で卒業しました。献身的に学ばなければできないことです。また、欲しい車を買うために仕事を掛け持ちして、それを成し遂げた人、毎週100人の新しい人に会うことを目標にしている営業マンも知っています。
道から逸れない方法
世界最速の視覚障害者ランナー、デイヴィッド・ブラウンは、自分の勝利は、神と「ダラダラするな」という母の教え、そして伴走者のジェローム・エイブリーのおかげだと言います。ふたりは指に紐を巻いてつながり、エイブリーの合図を聞いてさえいれば、200メートル走のカーブを逸れずに走れると言います。毎日、言葉と指の感触でコミュニケーションを取りながら勝利の戦略を練っていると語ります。
聖なる火
数年来の干ばつの後の山火事を、神のなさったことと考えた人がいました。この不穏な噂は、ニュース番組が「聖なる火」と呼んだことで増長しました。カリフォルニア南部になじみの無い人は、その場所がホーリージムキャニオン(聖なるジムの渓谷)と呼ばれていると知らな かったのです。聖なるジムとは19世紀の養蜂家で、あまりに不敬虔で険悪だったので、皮肉を込めてそう呼ばれていました。
聖霊とともに歩む
作家のマルコム・グラッドウェルは、どんな技術でも一人前になるには1万時間が必要だと述べています。どんな時代の偉大な芸術家や音楽家でも、生まれながらの才能だけでは、一流のレベルに達し得ないと言います。毎日、しっかり練習しなくてはなりません。