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誠実な生き方

クロスカントリーの国際試合で、ケニヤのアベル・ムタイ選手は勝利まで数メートルのところで標識を見誤りました。ゴールの手前でゴールだと思い込み、走るのをやめたのです。ムタイを追ってきたスペイン選手イバン・フェルナンデスはそれに気付くと、腕を前に突き出してムタイをゴールさせました。優勝をゆずった理由を記者たちが尋ねると、ムタイが勝者だと述べ、「あんなことで勝っても何の価値があるでしょう。そのメダルに栄誉があるでしょうか。私の母はどう思うでしょう」と語りました。ある記者は「フェルナンデスは勝利ではなく誠実を選んだ」と報じました。

棒の絵の教訓

カウンセラーをしている友人が紙に棒を描き、それを「本当の自分」とすると言いました。次に、その棒を外側から囲む線を描き、それは自分の外づらだと言いました。そして、そのふたつの違いが、私たちの誠実度だと語りました。私は自分のことを考えました。どれほど正直で誠実だろうかと。

言行一致

大学で教えている学生から、切羽詰まったメールが届きました。学期末が近づいたところで、そんな成績では来期は部活に入れてもらえないと気づいたのです。さてどうしましょう。彼には未提出の課題がありました。そこで、2日の有余を与えるので課題を仕上げるように返信しました。彼は「ありがとうございます。そのようにします」と答えました。ところが、2日経ってもなしのつぶてです。その学生は言行不一致でした。

クリスマスの 陰の立役者

クリスマスの物語で、ヨセフがどれほど重要だったのか、長い間気づかずにいました。しかし、結婚して夫となり、父親となってからは、ヨセフの品性に大いに感動するようになりました。彼は、どのようにしてマリヤが妊娠したのか知る前から、不貞を働いたかのように見える彼女を、さらし者にしたり、断罪したりしないと決心していました(マタ1:19)。

小さな場所の小さな事

自分は狭い場所で小さな奉仕しかしていない、と思っている人たちに出会うことがよくあります。彼らは孤独で元気がなく、自分のしていることは、あっても無くても同じだと感じています。彼らの話を聞くと、C.S.ルイスの著書「沈黙の惑星を離れて」に登場する天使のことを思います。彼は言いました。「私たちの仲間には大きさや数の話をしてはいけないという決まりがあるんだ…くだらないことに敬意を表し、本当に素晴らしいものを見過ごしてしまうことがないようにね。」

本当の忠誠

世界中の人が航空会社のマイレージサービスで貯めたマイルを合算すると、14兆マイルを超えるそうです。航空各社は1980年代初め、リピーターに特典を供与することで売り上げを伸ばそうと考えました。客の「忠誠」に報いて…というわけです。たまったマイルは無料航空券のみならず、色々な商品やサービスに交換できるので、人々はやがて旅費や行程と同じぐらい自らの見返りも考慮して、旅の行き先や交通手段を選ぶようになりました。

母のゴール

ジェフは母の容態が急変したと知って、すぐ飛行機で母のところへ飛んでいきました。そして、ベッドの脇に座り、彼女の手を握って賛美歌を歌い、慰めの言葉をかけ、「母さん、愛しているよ」と言いました。やがて彼女は息を引き取り、葬儀が営まれました。多くの人が訪れ、口々に謝辞を述べました。ジェフの母は、聖書を教える賜物があり、人の相談によく乗り、いくつもの祈り会をリードしていました。「あなたのお母さんは私にとって、神の恵みでした」と多くの人が言いました。彼女は人生の終盤まで、キリストに積極的に仕えました。キリストのために生きて、力強く最期を迎えました。

迷い出る

私の大好きな聖歌のひとつは、1757年に22歳のロバート・ロビンソンが書いた「いのちのいずみに」です。この聖歌には、「神より離れて迷いし我を…」という一節があります。私はこの歌詞を聞くたびに、はっとして自分の霊性を振り返ります。時にはつまらないことに気を取られて、本筋から逸れていると感じることがあります。本筋とは、私を愛してご自身をささげてくださった救い主に、心も思いもしっかりと集中することです。これは、私やロバート・ロビンソンだけの問題ではないでしょう。

誠実リーグ

私は、誠実リーグの一員です。といっても、実は仲間たちと昼休みに集まって、バスケットボールをしているだけです。反則をしたときは自己申告し、カッとならないように自制し、フェアに楽しくプレーすることを大切にしています。私たちはみんな負けず嫌いな性格ですが、曲がったことをせず正直であるなら、その場のよい雰囲気を維持することができると全員が信じています。