Category  |  信仰

委ね、平安を得る

側面に「神に委ねる!」と書かれた箱は、祈りが書かれた紙で満杯です。ケイラは渋い顔で新しく書いた紙を押し込むと、箱の中の紙に目を通しながら深いため息をつきました。「どうしたら神に届いていると確信できるかなあ」と友人のシャンテルに言いました。シャンテルは聖書を見せて「神は約束を守られると信じて、祈りを書いたり、取り出して読んだりしたら、そのたびに、神様に委ねるの」と応じました。

キリストに似た人

私が子どもの頃、アメリカ人の娯楽は野球でした。私も草野球に興じ、チーム名の入ったジャージを受け取った時は最高でした。私の背番号は9番。背番号は一人一人違いますが、同じユニホームを着れば、同じチームの選手だと分かります。

神に支えられて

父が退院して在宅介護が始まりました。栄養補給の管につながれ、寝たきりで、24時間のケアが必要です。私は母の胃の手術の準備もあり、仕事ではくせ者の顧客に悩まされ、精神的に参っていました。ある日トイレで一人「父よ、助けてください。今日一日、そして明日も明後日も、生き抜く力を与えてください」と涙ながらに訴えました。

信仰が試される

ローマ皇帝マクシミアヌスは、紀元304年、小アジアのニコメディア(現在のイズミット)に凱旋(がいせん)し、異教の神々に勝利を感謝する戦勝パレードに市民が招集されました。しかしキリスト者は例外でした。マクシミアヌスは教会に来て、信仰を捨てて罰を免れよと迫りましたが、会堂いっぱいの人々は、彼の最後通告を拒否しました。皇帝は彼らを閉じ込めて教会堂に火をつけ、全ての信者を殺害しました。

神は避けどころ

車の旅を始めて15時間後の深夜、竜巻警報が鳴りました。「直ちに安全な場所に避難してください!」それを合図にしたかのように、雷鳴が響き、車窓を突き破りそうな突風が吹きました。私たちは高速を降り、鉄筋コンクリートのホテル横に駐車して中に逃げ込みました。避難場所を見つけられて幸いでした。

自分の持ち場

リサはろう者たちを前に『ミュージカル:ピルグリム(巡礼者)』を手話で通訳しました。このミュージカルは、ある男性の信仰の旅路を描いたジョン・バニヤン著の『天路歴程』を土台にした感動的な物語で、リサの通訳も素晴らしいものでした。彼女に『ピルグリム』の公演に関わり手話通訳をする理由を尋ねると、どんな人でも自分の言語で福音を聞くべきだと思うからだと述べ、「ろう者は周縁化されがちです。福音を聞いたことがあるろう者は、世界のろう者の2%に過ぎません。本当に心が痛みます」と語りました。

その時、その場所に

看護学会が開かれていたホテルで、ロビーにいた人が心筋梗塞で倒れましたが、すぐさま、20人以上の看護師が駆けつけて救命措置をしました。その時、その場にふさわしい人たちがいたのです。

聖霊に導かれる

ラスベガスからロサンゼルスの道順を検索すると、カーナビが他より1時間近くも時短のルートを提案したので、シェルビー・イースラー姉弟は、それに従うことにしました。しかし、彼女たちは舗装されていない土道を何時間も走ってカリフォルニアのモハーベ砂漠に至り、砂嵐の中、立ち往生してしまいました。引き返そうとすると、悪路の走行のために車のあちこちが破損していて、結局、レッカー移動が必要になりました。そのナビの開発者は、二人と同じ憂き目に遭った多くの人たちに謝罪しました。

粘り強く祈る

娘のハンナが脳内出血で昏睡(こんすい)状態になり、ロイストンの一家は神に祈りました。「あれほど神を近くに感じたことはない」と振り返ります。皆の信仰が目覚めたのです。ロイストンは、イエスが「気を落とさずに絶えず祈らなければならない」(ルカ18:1)ことを教えられたたとえ話を取り上げました。不正な裁判官に裁判を開くよう求め続けたやもめの話です。結局、彼は根負けしました。イエスは無慈悲な裁判官でさえそうなのだから、「まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか」(7節)と言われました。