相手の側に立つ伝道
若い牧師は毎朝、「今日、私を用いて誰かを祝福してください」と祈りました。嬉しいことに、そうした状況が頻繁に起こりました。彼は教会以外でも働かねばならなかったのですが、その職場の昼休み、同僚がイエスについて尋ねました。牧師は上から目線で相手を言い負かそうとせず、彼の質問に淡々と答えました。彼は、聖霊の導きに従って、暖かい普通の会話ができた、また、新しい友だちもできたと語りました。その友人は神について知りたがっています。
元気づける言葉
台所にいた娘が「ママ、蜂蜜のなかにハエがいる!」と叫んだので、私は「お酢より蜂蜜の方が、多くのハエが取れる」という格言で冗談っぽく応じました。偶然ハエを蜂蜜で捕まえた初体験の一方で、この格言には知恵が込められていると思いました。つまり、不愉快な態度より優しい言葉のほうが説得力があるということです。
偏見は終わりにしよう
ジュリー・ランズマンが、数十年前、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場管弦楽団の首席ホルン奏者のオーディションを受けた時のことです。応募者はつい立ての後ろで演奏しました。結果が審査員の偏見に左右されないためです。ランズマンの演奏は1位になりました。しかし、彼女が姿を表すと、全員男性の審査員の内の数名が、彼女に背を向けて集まりました。彼らが不満なのは明らかでした。
未知の環境
頭の中をいろいろな問いが駆け巡りました。「神よ、なぜですか? これは本当にあなたのご計画ですか?」幼い子どもがいるのに、私はがんで深刻な状態だと診断されたのです。最近、家族で宣教に携わり、多くの子どもたちが救われ、御業の実を見て大喜びしたのです。それなのに、どうして……。
聞くのに早く
親しい友人の批判に反論しようとして、鼓動が速くなるのを感じました。私がネットに書いたのは、彼女のことではありません。しかし、反論する前に小さく祈りました。すると心が落ち着いて、彼女の言っていることや、彼女が傷ついた理由が分かってきました。明らかに表面的な問題ではありません。友人は傷ついていました。私は、彼女がその痛みを言葉にできるように助けようと思いました。そう決めると、自分を守る必要は無くなりました。
がれきから美を
妻のミスカは、エチオピア製のネックレスとイアリングを持っています。シンプルながら洗練されたデザインですが、驚くべきことはその背景です。数十年にわたる紛争と内戦によって、エチオピアの国土には砲弾の破片や薬包が散乱しています。エチオピアの人々は希望のためにがれきを撤去し焼けた土をきれいにします。そして、職人たちは、破裂弾や薬包の残骸でアクセサリーを作るのです。
正しい焦点
カーは教会のスモールグループの一員です。私たちは週1度会い、神について学んだことを互いに分かち合っています。彼と知り合って、1年以上経ちますが、ある夜のミーティングで、オリンピックに出場したことがあると言いました。あまりにもさらっと言ったので、ほとんど気にも留めませんでした。しかし、何と彼は、銅メダルをかけて戦ったオリンピック選手だったのです。これまで黙っていたなんて、信じられないことでした。彼にとって、その業績は特別な思い出でしたが、自分のアイデンティティの在りかは、家族、友人たち、信仰であり、そちらの方がずっと重要でした。
一滴ずつ
アビラのテレサは16世紀のキリスト者ですが、私たちは、神に全てを委ねるのではなく、自らが主導権を握ったまま、より手軽で「心地よい」方法で神に関わろうとすると言います。私たちはゆっくりとためらいがちに、時には、不承不承、神を信頼することを学びます。ですから、彼女は言います。自分の人生を都度少しずつ神に渡すのだから、完全に委ねるまで、神の贈り物を一滴ずつもらうとしても満足しなければならない、と。
神に叫び求める
ラッセル・ムーア博士は、養子を迎えるため家族で養護施設を訪ねた時、赤ん坊が保育されている部屋は驚くほど静かだったと記しています。ベビーベッドの赤ちゃんは全く泣きません。それは要求が無いからではなく、泣いてもケアしてくれる人は無いと悟っていたからです。