あなたがいつもすること
軍の車列が出発しようとしたとき、若い兵士が慌てて軍曹の車の窓を叩きました。軍曹はいら立ち、ぶっきらぼうに「何だ?」と尋ねると、兵士は「あれをお願いします」と言います。「何だ?」と言うと、「軍曹がいつもなさることです」との返事。軍曹は、いつも出発前に車列の安全を祈っていましたが、今回はまだでした。彼はそのことに気づくと、重々しい態度で装甲車から出て、兵士たちのために祈りました。先の兵士は、自分の上官は祈る人だということに、価値を感じていたのです。
闇に光を灯す
ヴァーツラフ・ハヴェルはチェコスロバキアの反体制運動の指導者でしたが1989年、国民の自由選挙で選ばれた最初の大統領になりました。2011年に死去し、葬儀がプラハで営まれました。このとき元アメリカ国務長官でプラハ生まれのマデレーン・オルブライトは、「ハヴェルは深い暗闇の世界に光を灯した」と述べました。
父は知っておられる
ある暑い夏の夜、まだ4才の私は、床に敷いたマットの上で父の横に寝ていました。母は当時、赤ちゃんがいて、別室で寝ていました。故郷のガーナ北部は、いつも乾燥しています。暑くて体中に汗をかき、喉が渇いたので、父を揺り起こしました。すると父は真夜中なのに起き上がって、水瓶から水を汲んで飲ませてくれました。父はいつも、そうでした。あの夜のように、優しく面倒見の良い父でした。私に必要なものをいつも与えてくれました。
理解できなくても
仕事をするために毎日、IT技術のお世話になっています。パソコンの電源を入れ、文章作成ソフトを起動し、執筆に取り掛かります。しかし、その仕組みをほとんど知りません。マイクロチップ、ハードドライブ、フルカラーディスプレイ、Wi-Fi接続などがどうなっているのか、よくは分かりません。しかし、だからといって、これらの技術の恩恵を受けられない、ということはありません。
考え方を形成する
マーシャル・マクルーハンは1964年、「メディアはメッセージだ」と語りました。パソコンや携帯電話、インターネットが存在すらしない時に、私たちの思考がメディアに影響されることを予測していたのですから、何という先見でしょう。ニコラス・カーは自著「ネット・バカ: インターネットが私たちの脳にしていること」で、次のように述べています。「メディアは…思考のプロセスを形成してもいる…ネットは現在、わたしの集中力と思索力をそぎ取っている…いまやわたしの脳は情報が、ネットから与えられているときと同じかたちで、つまり細分化された断片の迅速な流れとして入ってくるものと思っている。」
灼熱の太陽からの安堵
英国に住んでいると、日焼けを気にすることはめったにありません。太陽は大抵、厚い雲におおわれていますから。しかし最近スペインに行って、色白の私の肌は、強い日差しに10分と耐えられないと気づきました。私は慌てて、パラソルの下に逃げ込みました。
誰が告げるのか
第二次世界大戦が終わり、平和が宣言されました。しかし、フィリピンのルバング島に駐留していた大日本帝国陸軍の小野田寛郎少尉は、戦争の終結を知りませんでした。終戦を知らせるビラが空からまかれるなど、捜索活動はありました。しかし1945年、彼が最後に受けた命令は、「そこに留まり戦え」でしたから、それらは敵の陽動作戦だと考えたのです。小野田少尉が投降したのは、1974年の3月、終戦から30年近くたってからでした。彼の上官だった元陸軍少佐がフィリピンに赴き、正式に任務を解除しました。こうして小野田少尉は、ようやく戦争の終結を受け入れました。
主を愛するから
夫が出張から帰る前日、息子が「ママ、パパが早く帰ってくるといいね」と言いました。私は「なぜ?」と尋ねながら、「お土産を買って来てくれるから」とか、「いっしょにボール遊びをしたいから」などと答えるだろうと思っていました。ところが息子は真顔で、「パパが大好きだから、早く帰って来て欲しいんだ」と言いました。
上を向いて
エミルは年中、下を向き、地面ばかりを見てあてもなく、とぼとぼ街を歩くホームレスでした。彼は人と目を合わせません。路上生活をする前の知り合いに気づかれると恥ずかしいですし、道に落ちている小銭やタバコの吸い殻も探しているからです。下を向いてばかりいたので、背骨がすっかり曲がってしまい、まっすぐに立つことは困難です。