神にフォーカスしよう
同僚が仕事の電話をかけてきました。体調はどうかと尋ねられたので、副鼻腔炎で薬も効かずつらいと答えました。すると彼女は祈ってもよいかと尋ねました。私がお願いすると30秒ほどの短い祈りをささげてくれました。私は「そういえば、祈っていなかった。痛みにばかり気を取られて、神にお願いしていなかったわ」と告白しました。
神の臨在を知る
ブラザー・ローレンスの『敬虔(けいけん)な生涯』の原書初版は1692年です。彼はその中で、どうやって生活の中に神を招くようにしているかを語っています。彼の主張は、今を生きる私たちにとっても大きなチャレンジです。普段の生活、洗濯や掃除、通勤、犬の散歩を、祈り心で神を求める機会に変えるのです。
敢然と立ち向かう
アフリカの水飲み場に置かれたライブカメラの衝撃のシーンを、母が実況中継のように詳細に語ってくれたことがありました。立派な角を持ち、簡単には怯まないはずのオリックス(ウシ科の大型動物)が、勇敢で騒がしいダチョウの群れに遭遇して状況が一変。長身の先頭のダチョウが、羽を大きく広げて揺らし、大きな鳴き声を上げ、地面を踏み鳴らして突進。その気迫に押されたのか3頭が逃げ出したといいます。私は「オリックスは自分たちの角の威力に気付いていなかったんだね」と言いました。
ケアパッケージ
一人暮らしの大学生の子どもたちに、母親の私が送る小包「ケアパッケージ」には、主に手作りのお菓子やキャンディーが入っています。その他は、忘れていったお気に入りのシャツや文房具など、実用的なものです。このケアパッケージという言葉が、第二次世界大戦直後にアメリカで設立された人道支援団体の名称に由来すると最近知りました。その団体は、大戦直後、深刻な食料不足に見舞われたヨーロッパの戦争被災者や貧しい人々に、箱に詰めた食料などを届けたのです。
信仰ゆえの希望
クリスティンの下の息子は、小児がんで亡くなりました。わずか7歳です。その3年後、上の息子も根治できない病気になりました。友人たちは彼女と悲しみを共にしました。しかし、キリストを信じていない友人たちは、こんな運命を許された神を信じ続けられる理由がわからなくて、「なぜ?」と問いました。
神の憐れみ
日曜学校の時間、私の忍耐は限界に近づいていました。3歳児のピーターは機嫌が悪く、他の子どもにも意地悪でした。一番人気のおもちゃをあげても、まったく満足しません。優しい気持ちがいら立ちに変わり「強情なままなら親のもとに返そう。彼が遊べなくなっても仕方がない」と思いました。
イエスのように
小型機の狭い通路にぬっと立ち上がった人は、『イエスのようになれ』という本をこれみよがしに持っていました。しかし、他の人を押しのけて荷物カートから自分のバッグを取っているのを目撃したのです。イエスの行動とは正反対です。
御手は必ず届く
少女は16歳で懲役50年の判決を受け、刑務所の独房に収監されました。他の受刑者との接触も許されず、1年近く面会者もありません。刑務所は、教誨師(きょうかいし)の面会を許可しました。少女は、福音を聞いてイエスを受け入れ、洗礼を望みました。教誨師はビンの水で洗礼するつもりでしたが、刑務所の職員が厳戒態勢を敷き、彼女を移動式の洗礼層に誘導しました。神を信じる人々が祈る中、彼女は涙を流しました。
神の憐れみで生き残った人々
チャールズ・ジョーキンは11歳で船乗りになり、船上のパン職人として経験を積み、1912年に、イギリスの豪華客船に雇われました。その船、タイタニック号は、北大西洋で氷山に衝突しました。彼は、乗客を避難誘導し、自らは、垂直に沈む船尾のてっぺんに立ちました。そして奇跡的に救助されました。30年後の第二次世界大戦では、オレゴン号の乗組員になりましたが、この船も海難事故で沈没しました。しかし、彼は再び生還しました。