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いのちの水

アンドレアは複雑な家庭に生まれ、14歳で家を出て働き始め、友人と暮らしました。自己肯定感が低く、愛に飢えており、やがて恋人と同棲し、彼の誘いで薬物を使いだしました。飲酒は既に常態化していました。しかし、恋も酒も薬も、心の穴を埋めてくれません。彼女は探し続けました。そして数年後、数人のクリスチャンに出会いました。その人たちは、彼女に手を差し伸べて一緒に祈ってくれました。そして数ヶ月後、ついに彼女を愛情飢餓から救ってくださるお方、イエスに出会ったのです。

謙虚になる日

面白い「記念日」があります。日本の2月には、「ピカチュウの日」とか「にわとりの日」とか「気くばりの日」などというものがあります。今日は、米国では「『謙虚になろう』の日」です。確かに謙虚は美徳ですから、祝う価値があります。しかし、常にそうだったわけではありません。

心を守る

ハンガリー生まれの数学者エイブラハム・ウォールドは、1938年にアメリカに移住した後、第2次世界大戦で米軍に貢献しました。ウォールドたち統計研究グループは、どこを強化すれば戦闘機を敵の爆撃から守れるのか調査するように依頼されました。彼らはまず、帰還した機体の損傷がひどい箇所を調べました。その結果、ウォールドの洞察は大いに評価されました。彼は、帰還した戦闘機からは、撃たれても無事に戻って来られる箇所のデータしか得られないと述べたのです。強化が必要な箇所は、墜落した機体を見なければ分かりませんが、最も脆弱(ぜいじゃく)な部分を攻撃された戦闘機は墜落するので調べられません。その脆弱な部分とはエンジン、すなわち機体の心臓部です。

本当に必要なもの

ポットローストを作るとき、まず肉の塊を半分に切るので、夫がその理由を尋ねました。すると、妻は「お母さんが、いつもそうしていたから」と答えましたが、なぜかしらと好奇心が湧いたので、母親に聞いてみました。すると、驚いたことに、鍋が小さかったから、という理由でした。娘は大きな鍋を持っていたので、肉を切る必要はなかったのです。

リバイバルが来る

オールクンはオーストラリア北部の小さな町で、7つの部族の原住民が住んでいました。福音は約100年前に伝えられましたが、報復の文化は残っていました。2015年に部族間の緊張が高まって殺人事件が起こり、報復は必至でした。しかし、2016年の初めに驚くべきことが起こりました。人々が神を求めて祈り出したのです。群衆は悔い改め、雪崩を打って洗礼を受けに出てきました。リバイバルです。人々は喜びのあまり道で踊り、殺人の被害者部族は、加害者部族を赦(ゆる)しました。人口1300人の町で、毎週日曜日、1000人もの人が教会に集まります。

祈りのカード

文章セミナーの講師をしたとき、参加者のタミーが手書きのカードをくれました。彼女は、講師陣の経歴を読んで、各々に関する祈りをカードに記し、祈ってから渡しにきたとのことでした。私はその詳細な祈りに恐縮しつつ、神の励ましに感謝し、彼女のために祈りました。講座の期間中、疲れと痛みで辛かった時は、カードを読み返し、神から元気を頂きました。

完全にきよめられる

お客さんが来るというので、夫婦で掃除をしました。私は台所のタイルの床にシミを見つけ、床に這いつくばって拭き取ろうとしました。ところが、1つのシミを消すと別のシミが目立つのです。私が落とした汚れは皆、他の汚れを目立たせるだけでした。突然、我が家の台所の床がひどく汚く感じました。どんなに頑張っても、決してきれいにならないことも分かりました。

イエスを反映する

画家のアーマンド・カブレラは、絵画の原則に沿って反射光の美しさを描きます。それは「反射光は光源より弱く」というものです。初心者は反射光を強調しすぎるそうです。彼は「反射光は影に属しており、よって、その役割は支えることです。絵の明るい部分と競い合ってはいけません」と語ります。

陪審員8番

裁判官が重々しく言いました。「1人が死に、もう1人の命がかかっている」1957年公開の映画『十二人の怒れる男』の一場面です。被告の若者に不利な証拠は圧倒的でした。しかし、陪審員たちのいい加減さが、審議の中で明らかになっていきます。12人の陪審員のうち8番だけが「無罪」の票を投じると、彼に対して集中砲火が浴びせられます。その人は、証言の不一致を指摘しました。彼らは感情的になり、各々の悪意や偏見が露呈していきます。そして、1人また1人と意見を変え、無罪の票を投じていくのです。