物惜しみしない愛
孫の11歳の誕生日をレストランでお祝いしました。息子が誕生日の子に「何が食べたい?」と尋ねると、「サーモンがいいけど、高すぎるね」と答えました。すると息子は「今日は誕生日だから、それが食べたいなら、それを頼もう」と言ったのです。孫は大喜びでした。
羊飼いの心
ティムは自宅の庭で迷子の子鹿を見つけました。その後、森から出てきた鹿の群れに出くわしました。1頭の雌鹿は特に周囲に神経を尖らせているようでした。子を見失った母親なのでは、と考え、子鹿の助けを求める鳴き声をスマホで検索し再生しました。すると雌鹿がついて来たので、茂みでじっとしている子鹿のところに案内してあげました。子鹿は乳を飲み始めました。不安からの解放。母子の再会。全てはティムの思いやりのおかげでした。
信仰によって歩む
夜の祈祷(きとう)会に参加しようと、その女性は教会堂へ続く階段を、一段一段、極めて慎重に登っていました。痛みと息切れで、立ち止まった時、一人の男性が通りかかり言いました。「一歩ずつですよ。そうすれば必ず着きます。急がずゆっくりいきましょう」。彼女は力をもらったかもしれません。そして、この女性に向けられたその言葉は、疲れた心で歩いていた私のことも、確かに励ましてくれました。
キリスト者同士の協力
ニューヨーク市のブルックリン橋の建設は1869年に始まりましたが、主任技師ワシントン・ローブリングが、重病に倒れました。彼の妻エミリーは、夫の設計図・仕様書を含む一切の計画書を懸命に理解し、必要な修正を加え、助手たちに指示を出しました。エミリーは全力を尽くして夫を助け、1883年に橋が開通すると、馬車で最初に渡りました。夫は彼女の「卓越した才能」と「工事と工学的計画に関する深い理解」を称賛しました。
イエスにとどまる
喜びは記憶されてこそ完全に成熟する。これは、C.S.ルイスの『沈黙の惑星を離れて』の登場人物の言葉です。それは、追憶の喜びを語っています。ハイキングで絶景を見て感動したり、大切な人と記念日を祝ったりする喜びは本物です。しかし、それは喜びの始まりといってよいでしょう。その瞬間(またはそれに類する瞬間)を、後で振り返った時、その時の喜びが増幅されるのです。
成長させてくださる神
ラム・ワイチャンは、日本の教会に仕えようと国を出ましたが、着いて慌てました。会員はわずか20人。日本のキリスト者は、総人口の1%未満。宣教師の墓場と言われて久しく、多くの教会はがらがらです。まるで沈みかけた船を引き継いだ気分だった、と彼は言います。そこで必死になって祈ると、神の語りかけを感じました。「教会を私に返しなさい」
イエス―私たちの身代わり
米国で南北戦争(1861-65年)が長引くと、両軍は兵力不足で、徴兵に頼らざるを得なくなりました。しかし、南部連合の法律では自分の代わりを雇うことで兵役が免除されました。代替兵は、徴兵年齢に達していない、またはそれを超えた人たちです。兵役を逃れる人は、通常、手数料を政府に、多額のお金を代替兵に払いました。代替兵を雇えたのは金持ちだけでした。
蜜よりも甘い
ジャレットに蜜蜂について尋ねるとうれしそうにします。私たちは、この養蜂家宅によく集います。会合は養蜂と無関係ですが、養蜂に関わる教訓が、会話を盛り上げることは珍しくありません。彼の働き蜂が生み出した黄金色の新鮮で自然な甘味の蜂蜜は、まさに絶品なのです。
唯一確かなこと
木の冬支度は「硬化」です。木は、細胞内の水分が凍結・膨張して、幹や枝が裂けないように、水分を排出します。残った水は、糖やアミノ酸などによって凝固点が下がり氷結しにくくなるので、木は氷点下40度にも耐えられます。木は、日照時間に基づいた暦を内在させ、季節外れの温かさでも惑わされたりはせず、毎年同じ時期に硬化します。太陽だけが確かな基準。その太陽を創造された神は、それ以上に確かなお方です。聖書は、神の御子について、次のように述べています。「見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。……万物は御子において造られたからです。……すべてのものは御子によって支えられています」(コロ1:15-17)