Category  |  試練

キラキラしたものと闘う

米国の1960年代の人気ドラマ『メイベリー110番』の中で、息子の人生は息子に決めさせるべきだと、主人公が諭される場面があります。しかし、彼は反論します。「それは違う。彼らはキラキラのリボンのついたものに飛びつく。罠が仕組まれていたと気付いたときには手遅れだ。間違った考えは、華やかな包みでくるまれていて良く見えるから、長い目で見るとダメなんだと説得するのは難しい」と語り、親が正しい模範を示して「誘惑を寄せ付けない」ように助けなければ、と結論づけました。

救いの御手

ブロガーのボニー・グレイは、嵐のような悲しみに囚われたと語ります。最高に幸せだった時期に、突然、理由もなく、パニックや抑うつ感に襲われたのです。何とかしようといろいろと試してみましたが、やがて、その状況に1人で立ち向かえるほど自分は強くないと悟りました。彼女は次のように語ります。「あの抑うつ感が去るように、誰にも何も言わず1人で祈りました。信仰が弱いなどと言われるのが嫌だったからです。しかし、神は、痛みから目を逸らさせたり、自分で自分を責めたりさせたいとは思っておられません。私たちを癒やされたいのです」。彼女は、神の臨在に慰められ、癒やされていきました。神は、逆巻く大波から守ってくれるいかりでした。

嘆きから賛美へ

モニカは息子が神に立ち返るように熱心に祈りました。彼の自堕落な生活を嘆き、外国まで彼を追いかけることさえしました。息子の状況は救いようがないように見えました。しかし、ある日、それは起こりました。息子が神と劇的に出会ったのです。やがて彼は、偉大な神学者になりました。その人はヒッポの司教、聖アウグスティヌス(354-430年)です。

新たなスタート

詩篇120篇は、最初の「都上りの歌」(詩120-134篇)です。巡礼者はエルサレムに向かう道で、それを賛美しました。ユージン・ピーターソンはこの詩篇を省察して、「当然と考えていたことが実はうそだった、という苦々しい気付きから、キリスト者の意識は始まる」と述べました。彼の著書『A Long Obedience in the Same Direction』(同じ方向に向けて長い間従順に従う)が語っているように、「都上りの歌」は、私たちの霊が神に向かって進む旅路を示しています。

普通の人々の集団

著名な哲学者のハンナ・アーレント(1906-1975年)は、「人間というものは、強大な権力を持つ君主に抵抗し、ひれ伏すことを拒める、と分かっている……一方、大衆に抵抗できる人は実のところほとんどいないと分かった。間違った方向に導かれている普通の人々の集団を前に、独りで立ち上がり、彼らの無慈悲な熱狂に対峙できる人はいない」と書きました。ユダヤ人のアーレントは、母国ドイツでこれを体験しました。

圧倒的な勝利者

夫が少年野球の監督をしていた時のことです。打ち上げパーティーをすると、最年少のダスティンが「今日は負けたんじゃないの?」と言いました。「ええ。でも、みんながベストを尽くしたことが誇らしいの」「でも負けたよね」私はうなずきました。「なのになぜ、勝ったように感じるの?」私は「それはね、あなたが勝利者だから」と笑顔で答えました。

救出作戦

オーストラリアの家畜救出団体の人が迷子の羊を見つけました。汚れて絡み合った毛は34㎏以上もあり、少なくとも5年間は森に放置されていたようでした。その人は、羊をなだめながら重い毛を刈ってあげました。羊は身軽になると餌を食べました。そして、保護区で職員に守られ、他の動物たちと過ごすうちに、しっかりとし、落ち着いてもきました。

喜びを選ぶ

キースは重い足取りでスーパーの売り場を歩いていました。パーキンソン病の初期症状で両手が震えます。生活の質がもうすぐ低下し始めるのでしょうか。家族はどうなるのでしょう。その時、笑い声がして、思考が途切れました。声の主は、ジャガイモ売り場のそばの車椅子の少年です。父親らしき男性が車椅子を押していて、後ろから身を寄せて、何かをささやいていましたが、少年は笑い続けます。状態はキースよりかなり悪そうでしたが、2人は、何かに喜びを見つけているようでした。

人生の意味

ローマ兵マルクス・ルーファスは、アルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスの短編小説の登場人物です。マルクスは「秘密の不死の川」の水を飲みましたが、やがて、不死は思ったほど良くないと気付きました。人生は限りあるからこそ意義があると分かったのです。実際、人生に意味を与えるものは死です。マルクスは、解毒剤となる清い水を飲みました。そして、いばらのとげで手を引っかくと、1滴の血が滴り、彼が死を取り戻したことを示しました。