鎖を壊して
ザンジバル島のストーン・タウンにあるクライスト・チャーチ大聖堂を見学し感動しました。この地はかつて東アフリカ最大の奴隷市場でしたが、その地に大聖堂が建てられました。建築家は、この作品を通して、福音が奴隷の鎖を打ち壊したことを示そうとしています。ここはもはや、残虐非道な行いの地ではなく、神のあわれみが映し出される地になりました。
イエスをしっかり見る
私が子どもの頃に通った教会のジャスティスさんほど誠実な人はいません。妻を大切にし、郵便局員として真面目に働き、日曜日は教会で奉仕しました。先日、この教会に行ったとき、ピアノの上のベルに気づきました。礼拝の始まりにジャスティスさんが鳴らした、あの年季が入ったベルです。彼はずいぶん前に天に召されましたが、誠を尽くすという彼の遺産は、この教会に脈々と受け継がれています。
赦すとは
ある日「父とふたりの息子―赦しの芸術―」という展覧会に行きました。その出品作はすべて、放蕩息子のたとえ話(ルカ15:11-32)を題材にしています。私はエドワード・リオハスの絵に特に心を動かされました。その絵は、わがまま放題に家出していった息子が、ぼろ布をまとい、うつむいて戻って来る様子を描いています。青年は死の国を後にして道を歩いていましたが、父はすでに彼に向って駆け出していました。その絵の下には「ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い」という聖書のみことばが添えてあります(20節)。
神を知るための学び
小さい頃から母親になることにあこがれ、結婚して自分の子どもを抱く日を待ち焦がれていました。私たち夫婦は結婚するとすぐに赤ちゃんを授かると思っていましたが、妊娠検査はいつも陰性で、不妊と戦うことになりました。通院を何カ月もつづけ、検査を受け、涙を流しました。私たちは嵐の真っただ中に立っていました。不妊は受け入れ難く、神は本当に良いお方だろうかと疑いたくなりました。
嵐の中へ
風がうなり雷鳴と共に閃光が走り、波が砕け散りました。死ぬかもしれないと思いました。私たちは湖に釣りに出て、長居し過ぎたのです。日が沈むと雨混じりの突風が吹き荒れ、祖父は私に舳先に座るように言いました。転覆しないためです。私は恐怖でいっぱいでしたが、どういうわけか、祈り始めました。14歳の時のことです。
いつまで?
ルイス・キャロルの名作「不思議の国のアリス」の中で、アリスが「永遠ってどのくらい長いの?」と尋ねると、白ウサギが「ほんの一瞬のこともある」と答えました。それが、兄のダビデを突然失ったときの私の気持ちでした。葬儀までの時間が、刻一刻と悲しみの深まる永遠の時であるかのように思いました。
祈りによってのみ
夜遅く、がんで闘病中の友人から電話がありました。泣きじゃくっています。私はもらい泣きをしながらも「主よ、どうすればよいのですか」と、心中、祈りました。彼女の嘆きに胸が締め付けられそうです。身体や心の痛みを軽くしたり、何とかしたりするどころか、気の利いた励ましの言葉も思いつきません。しかし、助けてくださるお方は知っています。私は泣きながら「イエスさま、イエスさま」と呟きました。すると泣き声がすすり泣きになり、彼女の深い呼吸が聞こえてきました。やがて友人の夫が「妻は眠りました。明日電話します」と電話口で言いました。私は祈りつつ、涙で枕を濡らして眠りました。
苦しみの中の強さ
サミーが18歳でイエスを信じたとき、家族に勘当されました。家は伝統の宗教を信じていたからです。そこでキリストの教会は彼を受け入れ、励ましたり、学費を援助したりしました。その後、サミーの救いの証が雑誌に載ると、家族の迫害はさらにひどくなりました。
甘く苦く
甘いチョコレートが好きな人もあれば、ビターチョコレートが好きという人もあります。古代のマヤ文明の人々はチョコレートに唐辛子を入れ「苦い水」と呼んで飲んだそうです。その後チョコレートは、スペインにもたらされましたが、スペイン人は甘味を好んだので、砂糖と蜂蜜を混ぜ、独特の苦さを和らげたと言います。