Category  |  祈り

祈りと変革

旧東ドイツのライプツィヒのニコライ教会で1982年、月曜日の祈り会が始まりました。クリスチャン・フューラー牧師と一握りの人たちは、何年も、冷戦下の世界と抑圧的な東ドイツの体制の中で、平和のために祈りました。共産党は教会を監視していましたが、参加者が教会の門の外にあふれるまでは気にしませんでした。1989年10月9日、7万人が平和的な抗議デモに参加し、6千人の警察官が不測の事態に備えて待機しました。混乱は起こりませんでしたが、この日が分岐点だったと歴史家は語ります。ベルリンの壁が崩壊したのは1カ月後のことでした。世界の大きな変化が祈り会から始まったのです。

助けを求める

デビッド・ウィリスがロンドンの巨大書店の1階に下りて来ると、ドアが施錠されていました。閉じ込められたのです。そこで、「やあ、@Waterstones。お宅のトラファルガー広場店に閉じ込められています。助けてください」とツイッターに投稿しました。すると間もなく救助されました。

われらの避け所

そこは元々、バッファローが住む原野でした。やがてバイソンを追いかけてきた先住民の土地となり、次に入植者が来て牛を飼い、農耕を始めました。第2次世界大戦の真珠湾攻撃以後は化学兵器の製造場所になり、東西冷戦時代には、兵器の廃棄場所になりました。しかし、ある日、ハクトウワシの巣が発見され、ロッキーマウンテン・アーセナル国立野生生物保護区が誕生しました。コロラド州の大都市デンバーに隣接した広大な地域で、草原、湿地、森林を含めて65平方キロメートルの広さです。都会の自然保護区としては米国で最大の規模を誇り、黒足フェレット、アナホリフクロウ、ハクトウワシ、バッファローなど、300種以上の野生動物が安全に暮らしている場所です。

つながっている

マデレイン・レングルは、週1回、母親と電話していましたが、母親の晩年には、より頻繁に電話をかけました。ただ声を聞くためです。マデレインはまた、自分の子どもたちが電話をしてくるのも好きでした。時には真剣な話題を語り合うこともありましたが、電話番号が変わっていないことを確認するためだけということもありました。彼女は、著書『水の上を歩く』の中で「子どもが親に連絡するのは良いことです。神の子である私たちが、天の父なるお方に連絡するのは良いことです」と書いています。

恵みと変化

凶悪事件の犯人が終身刑になりました。独房の中の年月、彼のたましいに癒やしと改心が始まり、ついに悔い改めて、イエスを救い主と信じるに至りました。最近は、他の受刑者との交流が一部、許可されています。神の恵みにより、彼の証しによって、キリスト信仰に導かれる受刑者も出現しました。彼らもまた救われたのです。

祈って進める

息子の手術の際、その人が執刀医であることに感謝しました。退職間近のベテランで、同じ症状の患者を何千人も診てきたからと家族を安心させてくださいました。その上、手術開始前には、最善の結果を与えてくださいと神に祈られました。本当にありがたいことでした。

話しかける神

知らない番号からの電話を、通常どおり留守番電話に切り替わるままにせず、出てしまいました。すると、電話の主は聖書の一節を伝えてもよいかと丁寧に尋ねました。そして、黙示録21章3-5節を読んで、神があなたの目から涙をことごとくぬぐってくださると言い、イエスが私たちの保証であり希望だと話しました。私もイエスを信じていると伝えると、彼は伝道目的ではないので、一緒に祈ろうと言いました。そして、神の力と励ましが私の上にあるように祈ってくれました。

神は聞いておられる

俳優で武道家のチャックは母の100歳の誕生日を祝い、自分の信仰は彼女の影響が大きいと語りました。彼は「母は忍耐と信仰の良き手本でした」と述べています。大恐慌の最中、3人の息子を育て上げ、最初の夫そして2度目の夫とも死別、息子や義理の息子、孫の死も経験しました。また、度々の手術も耐え抜きました。「母は時が良くても悪くても僕のために祈ってくれました。ハリウッドで堕落しそうになった時も、私の救いと成功を求めて祈ってくれました。神が私をあるべき姿に作り変えてくださるように祈ったのです。そのことを本当に感謝しています」

苦しい時に祈る

神学者のラッセル・ムーアは、ロシアの孤児院から養子を迎えました。その孤児院は、不気味なほど静かだったそうです。その理由は、どんなに泣いても何もしてもらえないので、やがて赤ん坊たちは泣くのをやめるからだと説明されました。