休み、待つこと
ある日の昼下がり、イエスはヤコブの井戸の脇に座って長旅の疲れをいやしておられました。弟子たちはスカルの町にパンを買いに出かけています。そこに町の女が水を汲みに来て、イエスと出会いました。そして走って町に戻り、いっしょに来て、私のしたこと全部を私に言った人を見てくださいと、人々に言って回ったのです(ヨハ4:29)。
目に見えなくとも愛されて
私を含めて、BruceC(ブルースC)のブログを読んでいた人の大半は、彼と面識がありません。しかし、彼の妻がBruceCの死を知らせる投稿をするや、心を揺り動かされる投稿が、あちらこちらからたくさん届きました。それを読みながら、私たちは皆、大切な友を失ったのだと実感したのです。
愛の大使
チャプレンという仕事柄、職場でケアする人以外からも信仰のことを教えて欲しいと言われることがあります。喜んで時間を割きますが、実は教えるより教えられることの方が多いのです。ある時、クリスチャンになりたての真面目な人が、「聖書を読むことは、私のためになりません。神が私に求めておられることを読めば読むほど、私は周囲の人を裁いてしまいます」と、自分の悩みを打ち明けました。
新たな出発
モンゴメリ著の「赤毛のアン」は、私が子どもの頃に愛読した本です。その中に、ケーキ作りをしていたアンが、バニラ・エッセンスと間違えて皮膚に塗る薬を入れてしまう場面があります。しかしアンは、にらみつける親代わりのマリラに向かって明るく言います。「明日という失敗の混じっていない新しい日があるのは、素敵だと思わない?」私はこれを読んで、いつも大笑いしたものです。
神の防具
イスラエル人は、ネヘミヤの監督のもとでエルサレムの城壁を再建していましたが、半分ほど完成したとき、敵に狙われていると知りました。労働者たちは疲れていたので、やる気を失いかけました。ネヘミヤは対策を講じなくてはなりません。
登りつづけなさい
リチャードは友人のケビンとザイルでつながれて、ロッククライミングをしていました。疲れ果てて、地面に下ろしてくれと頼むとケビンは、ここまで来てあきらめてはいけないと励ましました。リチャードは空中で中ぶらりになりながら、登りつづける決心をしました。すると驚いたことに、再び岩を捕えられたのです。そしてついに登頂しました。励ましという友人のひと押しが、それを可能にしたのです。
忘れられてはいない
長女のククアは、母の50歳の誕生日に集まった多くの人を前に、母は多くのことをしてくれたと語りました。子どもの頃は厳しい時代で、お金がありませんでした。シングルマザーだった母は自分を犠牲にし、大切な宝石や着物などを売ってククアを高校に行かせてくれました。どんなに苦しくても、決して自分たちを捨てなかったと彼女は涙ながらに感謝しました。
約束された霊
神は偽りの時代にエリヤを用いて真実を語り、奇跡を起こされました。エリシャは従者としてそれをずっと見てきましたが、そのエリヤはまもなく「天に上げられ」ます(Ⅱ列2:1)。エリシャはエリヤと別れたくありませんが、ついにその時がきました。
最高の喜び
ポッター夫妻は3人の子どもがいる愉快な夫婦でしたが、1956年にオクラホマ・シティーで行われたビリー・グラハム大会に参加して、キリストに人生をささげる決心をし、新しい道を歩み始めました。そしてしばらくすると、自分たちの信仰の証として、キリストの真理を他の人々に伝えたいと思い、毎週土曜日の夜、自宅を開放して高校生や大学生といっしょに聖書を学ぶことにしたのです。