月別: 2017年6月

神の慰めをあかしする

友人の自作の器が配送中に壊れ、大小の破片や土の粉になりました。私は夫に破片をくっつけてもらい、飾り棚に並べました。この器のように、私にも傷跡があります。それは、神が許された試練を乗り越えて立っていることを証明する傷です。この器を見ると心が癒されます。そして、神が私をどう取り扱われたかを分かち合うことが、今、苦難の中にある人々の助けになると今また、教えられました。

互いに励まし合う

言葉の力は侮れません。従業員の関わり方によって、その会社の顧客満足度や利益、また従業員同士の評価のレベルが変わるといいます。ある研究によると、会社で業績トップのチームでは、互いを認め合う温かい言葉が、論争、批判、皮肉の6倍、業績最下位のチームでは、否定的な言葉が役立つ言葉の3倍近く発せられていたと言います。

さあ、祈りましょう―聖書のみことばで神に語りかける

聖書の祈りは、神からのすばらしい贈り物です。私たちは、イエスやモーセ、ダビデ、ヨブ、サムエル、イザヤ、エレミヤ、マリヤ、ペテロ、パウロ、その他の大勢の人たちが、どのように神に祈ったかを知ることができます。聖書の祈りは、私たちの祈りを助けてくれます。イエスも十字架の上でダビデの祈りを祈られました。
聖書の祈りを心から祈るなら、私たちは神のみそばに引き寄せられます。聖霊がいのちの息吹を、私たちの祈りと人生に与えてくださいます。さあ、祈りましょう。

やる気は神のために

少し前に「やる気のある人の会」に入会しませんかという誘いを受けました。そこで「やる気」という言葉を辞書で調べてみると、やる気のある人とは、成功に対する意識が高くそのための努力を惜しまない人のことだと分かりました。

完全な父

父が「お前が子どもの頃、私は家にいないことが多かったね」と言ったことがあります。しかし、そんな風に感じてはいませんでした。父は仕事をしながら聖歌隊の指導をしていたので、夜、教会に行くことがありました。また、男性カルテットの一員として1~2週間の公演にも出かけました。しかし、人生の大切なときには、いつもそばにいてくれましたし、ちょっとした時にも、父の姿はありました。

ともに過ごす

親戚の結婚式から車で二時間かけて帰る道、母が仕事はどうかと尋ねました。この質問は三度目です。そのたびに、初めて聞かれたかのように同じ答えを繰り返しながら、どうやったら記憶に留めてもらえるかと考えていました。母はアルツハイマー病で記憶力が落ちています。いずれは、行動にも影響が出て話すことさえできなくなるでしょう。

生かされて

父は若い頃、友だちといっしょにスポーツイベントへ出かけようとして交通事故に遭いました。彼らの車のタイヤが、雨に濡れた路面でスリップして大きな事故になったのです。ひとりが亡くなり、もうひとりは重症を負って身体障がい者になりました。父も死亡したと思われて、身体が死体安置所に運ばれました。祖父母は知らせを聞いて、大きなショックを受けました。そして悲しみながら、身元確認のために身体が安置されている場所にやって来ました。ところがそのとき、父は深い昏睡状態から覚め、息を吹き返したのです。両親の悲しみは一転して喜びに変わりました。

平和のきずな

考え方の違いをメールではっきり伝えたところ、相手から返事が来ません。私は立ち入り過ぎたのでしょうか。言い過ぎたのでしょうか。しつこく迫って、状況を悪化させたくありませんでしたが、この問題を解決しないまま、彼女が外国に行ってしまうのも良くないと思いました。このことが数日間、何度も頭をよぎり、彼女のために祈っては、神の導きを求めました。

恩寵のリズム

友人夫婦は90歳代で、結婚して66年になりますが、家族のために自分史を書きました。最終章「父と母からの手紙」には、彼らが学んだ大切な教訓が記されています。そのひとつはこうです。「キリスト教は忙しくて疲れると感じるなら、それは宗教活動でありイエスと親しく交わっていることではありません。キリストと歩むなら疲弊しません。生気を回復し、人生に活力が与えられます」(マタ11:28-29)。