そばにおられる神
蜘蛛が好きな子がいるでしょうか。夜、床に就こうとして見つけたら…。ある晩、娘のベッドのそばに蜘蛛がいました。彼女の「パパァ蜘蛛がいるよぉ」という悲鳴に飛んで行って部屋中を探しましたが、隠れてしまって見つかりません。私は大丈夫だと言いましたが、娘は納得しません。それで、そばにいてあげるからと言うと、ようやく床に就きました。
偉大な医師
リシ・マンチャンダ医師の「どこに住んでいますか」という質問は、住所だけを意味しません。患者の現実が分かるのです。彼の患者は往々にして住環境に問題があります。カビ、害虫、または何らかの有毒物質が病気の原因なのです。マンチャンダ医師は「病気の上流を診る医療」の提唱者です。必要時に医療を提供するかたわら、患者や患者の住む地域の人たちを、より健康的な生活の源へと導く医療関係者なのです。
十分ではない
教会から帰る途中、娘が金魚型のお菓子を食べていて、兄弟たちが分けて欲しいとせがんでいました。私が「教会学校で何をしたの」と聞くと、かごに入ったパンと魚を作った…子どもが5つのパンと2匹の魚をイエスに差し出し、それでイエスは5千人の人々を食べさせたから、と言います(ヨハ6:13)。そこで「まあ、その子は親切ねぇ。あなたもお菓子を分けてあげたら」と言うと「ダメ」と言います。
信仰を貫く勇気
ハダサーは常に恐れていました。彼女は1世紀に生きたユダヤ人の少女で、フランシン・リバーの小説『風の中の声』の登場人物です。彼女はローマ人の家の奴隷にされましたが、キリストを信じていたので、それが発覚して迫害されることを恐れていたのです。キリスト者は世間で嫌われていて、処刑されたり、ライオンのいる円形競技場に放り投げられて、餌にされたりしていたからです。信仰が試されたとき、勇気をもって真理に立ちつづけられるでしょうか。
逃げなさい
高校でフェンシングを始めた時、コーチは剣を突き出しながら、その攻撃に対する正しい防御のポジションを叫びました。彼の攻撃をかわすには、声に即座に反応しなければなりません。
皆を愛する
私は広い庭のある教会で礼拝をささげていますが、これは国土が縦40km横24㎞しかないシンガポールでは珍しいことです。少し前から外国人労働者が毎週日曜日、ここでピクニックをするようになりました。この状況に教会員の反応は様々でした。ゴミを散らかすと言って腹を立てる人もいました。一方、自分たちの方からわざわざ出て行かなくても在留外国人をもてなす機会が与えられたと考える人もいました。
導かれるままに
子どもの頃、日曜日の夕拝に行くのが楽しみでした。夕拝とは、帰国中の宣教師などが心躍る話をしてくださる場所だったからです。彼らの話に私の信仰は鼓舞されました。神に仕えるために喜んで家族や友人を離れ、家や財産、良い仕事を捨てて見知らぬ土地、時には危険を伴う土地にさえ出ていった人たちだったからです。
先遣隊
友人は1600キロメートルも離れた町に移り住むことになりました。青森から下関に移るようなものです。そこで、夫が新居を探す、妻が引っ越しの支度をする、と夫婦で役割を分担することにしました。私は友人に、住む土地や家の下見にも行かずに引っ越して大丈夫なの、と尋ねました。すると彼女は葛藤が無い訳ではないけれど、何年もいっしょに暮らしていて、自分の好みや必要に夫が配慮してくれると分かっているので信頼していると言いました。
祝福のバスケット
パソコンで仕事をしているとメールの着信音がしました。普段はすぐにメールを開くという誘惑にあらがっているのですが「あなたは祝福です」というタイトルに引き寄せられました。そこで、それを開いてみると、遠方の友人が私たち家族のために祈ってくれているというメッセージでした。彼女は、毎週、台所にある「祝福のバスケット」から友人や知人の写真を撮って壁に貼り出し、その家族のために祈るのです。そのメールには「私は、あなたがたのことを思うごとに私の神に感謝し…」というピリピ1章3節のみことばが書かれ、私たちが神の愛を頑張って伝えていることについて「福音の同志」だと述べていました。