月別: 2023年8月

いつくしみ深き友

しばらく会えない間に、旧友はがんだと告知され、治療を始めました。彼の住む州に行く用事が思いがけずでき、再会することになりました。待ち合わせの店に入り、顔を合わせるや、2人の目に涙が溢れました。もう長く同じ部屋で語らっていません。そして今、死の気配が人生のはかなさを暗示しています。一緒に笑ったり、ふざけたり、冒険したり、泣いたり……。長年の数々の思い出がよみがえり、涙がとめどなく溢れました。見つめ合う目から流れるのは、互いの間にある大きな愛でした。

惜しまぬ心

作家パーカー・J・パルマーは、ある大学の卒業式で「利己的に自己中心に、また保身に勤しんできて良かった」と言って死ぬ人はいない、と述べ、広い心で惜しみなく社会に尽くすように卒業生を励ましました。しかし、続けて「そのように生きるなら、自分はいかに無知で、いかにたやすく失敗するかを学ぶことになる」と言いました。そして、社会に仕えたいなら、初心者の心で、リスクを承知で知らないことに真っ直ぐ向かっていき、何度失敗しても起き上がり、学び続けていかなければならない、と語りました

証人

ヘンリー・W・ロングフェロー(1807-1882)の詩『証人』は、沈没奴隷船を描いています。彼は「鎖につながれた骸骨」とつづり、無数の無名の犠牲者を悼みます。そして「これらは奴隷の悲痛な叫び。彼らは奈落の底からにらみつける。名もない墓から叫ぶ。我らはその証人!」と終わっています。しかし、この証人たちは、誰に向かって語るのでしょう。沈黙の証言など無駄ではありませんか。

神の永遠の教会

子ども連れの若い女性が来たのは礼拝の終了間際でした。「教会は終わりですか」ときかれたので、受付の人は、近くの教会の第2礼拝がもうすぐ始まると伝え、送りましょうと申し出ました。その女性は、とても感謝している様子でした。受付の人は後からこう思いました。「教会は終わったか。いや、決して終わらない。神の教会は永遠に続く」と。

励ましという贈り物

妻が戸を開けるなり「分蜂してる!」と言いました。養蜂家なら聞きたくない知らせです。外に出てみると、数千匹のミツバチが巣箱から高い松の木に飛んで行くのが見えました。もう戻ってはきません。分蜂の兆しを読み誤りました。1週間以上の嵐で勘が狂ったのです。嵐が去った朝、ハチは飛び立ちました。新しく健康な巣です。ハチたちは巣が手狭になったので、ニつに分かれて別の群れを作ったのです。熟練の養蜂家は「誰にでもあることだから」と、落胆する私に明るく声を掛けてくれました。

余白を作ろう

医師のリチャード・スウェンソンは、著書『余白』の中で次のように書いています。「私たちは息をするゆとりを持たねばならない。物思いにふけり、癒やされる自由が必要だ。人間関係は慌ただしさのおかげで瀕死の状態……子どもたちは大人が良かれと思って詰め込んだものに押しつぶされ、あえいでいる。神は消耗戦に賛成なのか。静かな水辺には導いてくださらないのか。ゆったりとしたあの時を奪ったのは誰だ。取り戻す方法はないのか」。スウェンソンは、私たちには静かで豊かな「余白」が必要だといいます。神と会い、神のもとで安らげる場所です。あなたも同感ですか。

キリストの力

空中曲芸師のニック・ワレンダは、2013年、約600人の観客が見守る中、グランドキャニオン峡谷で綱渡りをしました。谷の幅は約400メートル。その間に張った幅5センチのワイヤーに足を踏み出した時、ワレンダは、その美しい景観を神に感謝しました。そして、祈り、賛美しながら、歩道を散歩するかのように、落ち着いて進みました。風が変わると腰を落として止まりました。そして、バランスを立て直し、ワイヤーの揺れを静めてくれた神に感謝しました。彼は、綱の上の一歩一歩をキリストの力に頼って渡ったことを見る人に示しました。その動画は今や世界中で視聴されています。

礼拝は祝祭

大きなイベントで自分は変わったと感じる人がいます。ダニエル・ヤドキンら研究者のグループは、2日以上続いた英国や米国の大きなイベントに参加した1200人余りを対象に調査し、大きな祭典が人々の道徳観に影響を与えたり、分かち合いの精神を高めたりすると発見しました。その調査によると、参加者の63パーセントは「自分が変わった」と感じ、人とのつながりを大切に思い、家族や友人、他人にさえ寛容な気持ちになれたといいます。

アンバサダー

企業はネット時代の熾烈(しれつ)な競争を勝ち抜こうと知恵を絞っています。例えば、米国のスバルです。スバルの車に乗る人は、リピーターになることで有名です。そこでスバルは、自社製品の愛用者を「アンバサダー」に任命する制度を作りました。ウェブサイトによると「スバル・アンバサダーはスバル車について無償で熱く語り、スバルというブランドの将来の一翼を担う選ばれた人たち」ということです。会社は、スバル車に乗っていることが自分らしさの現れという人、その喜びを誰かに話したくてしかたがない人を求めているのです。