バイオレットと歌う
バイオレットは高齢でジャマイカの障害者施設で暮らしています。 10代の若者たちが見舞うと、真昼のむし暑い部屋の中、文句も言わず、満面の笑みを浮かべて歌いました。「走って、跳ねて、飛んで、私は、主をほめたたえます!」バイオレットには両足がありません。しかし、まるで走っているかのように腕を前後に振りながら歌い、周りにいた人は涙を浮かべました。バイオレットは「イエスさまは私を愛しておられて、天国へ行ったら走る足をくださるのよ」と言いました。
光の無い道
休暇からの帰り道、オレゴン州中部の荒野を通りました。夕暮れどきの2時間余り、私たち家族の車は深い渓谷を抜け砂漠の尾根道を走りました。その間、すれ違う車は20台も無かったでしょう。やがて月が登りましたが、山の峰があるので見えたり見えなかったりします。娘は「神のご臨在と同じね」と言いました。私は「神がおられると見えなくてはいけない?」と尋ねました。すると彼女は「そんなことはないわ。でも見えたら確実に助かるわ」と答えました。
伝えずにはいられない
裁判の証人は傍聴人とは違います。彼らは判決を左右する裁判の積極的な参加者です。同じことがキリストの証人にも言えます。私たちは、イエスの死と復活という絶対的に重要な真実に関する積極的に証言する参加者であるべきです。
待つことの重荷
ここ数年で親族のふたりが大きな病気を患いました。彼らを看病する上で最も大変だったのは、常に先が見えないということでした。私たちは医者の明確な言葉を期待しましたが、物事はそれほど単純ではありません。白か黒かではなく、もう少し様子を見ましょうということがしばしばでした。不確実性というのは大きな重荷です。次の検査でどうなるのだろうと常に不安でした。死が私たちを分かつまでに、どれだけの時間があるのでしょう。ガンのような病気は、私たちが死に逝く存在だという現実を突き付けます。人はいつかこの世を去っていきます。
暗闇で賛美
ミッキーは失明しつつありましたが「神を賛美しつづけるつもりだよ。だって、私のために大きなことをしてくださったのだから」と言いました。
赦すべきか
教会堂の掃除に行くと向こうで泣いている人がいました。私に意地悪をしたことのある人です。それで、気づかない振りをして掃除機をかけました。嫌われているのに声をかける必要は無いでしょう。しかし自分がどれだけ神に赦されたのかを思い出し、聖霊に促されてそばに行くと、彼女の赤ちゃんが何か月も入院していると言うのです。私たちは抱き合って泣き、赤ちゃんのために祈りました。そして今では性格の違いを乗り越えて仲良くなりました。
神が思い出を用いられる
喪失や失望の経験は、怒りや罪責感、混乱をもたらします。自分が選択を誤ったために道が閉ざされたり、過失は無いのに悲劇に襲われたりした時、「もし~だったなら」と深く悲しむでしょう。そして、その辛い記憶を押し殺そうとしても、それは不可能だと気づきます。
5分前ルール
母と子の間に5分前ルールがある家の話を読みました。子どもたちは毎朝、学校に行く5分前に準備を済ませて母親の周りに集まります。すると、母親は子どもたち一人ひとりの名前を言って、神がその一日を祝福してくださるように祈ります。そして「行ってらっしゃい!」と言うと、子どもたちは元気に駆け出すのだそうです。近所の子どもが通りかかると、その子も祈りの輪に加わりました。子どもの一人は、何年も経ってから当時を振り返り、その日のために祈ることの重要性をこの体験から学んだと語っています。
宇宙にたったひとり
アポロ15号の宇宙飛行士アルフレッド・ウォーデンは、月の向こう側でどんな気持ちになるかを体験しました。1971年、同僚の飛行士ふたりを数千キロ離れた月面に残し、彼はひとり、司令船「エンデバー」を操縦して旅をしました。唯一の友は宇宙の星たちです。ウォーデンによると、星の層はとても厚く、まるで光のシートに包まれていたかのようだったと語りました。