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絶望の写真

世界大恐慌下の米国で、著名な写真家ドロシア・ラングは、フローレンス・オーウェンズ・トンプソンと彼女の子どもたちを撮影しました。その有名な写真「移民の母」は、エンドウ豆の不作の後の絶望を捉えています。この写真をカリフォルニア州ニポモで撮影した時、ラングは農業安定局の仕事をしており、農場の季節労働者の窮状を当局に知って欲しいと願っていました。

私たちの帰る場所

それぞれが最初の伴侶を悲劇的に失って数年後、ロビーとサブリナは恋に落ち、各々の子どもを連れて再婚しました。彼らは新しい家庭を「ハビラ」と名づけました。ヘブル語の「苦しみもだえる」と「生む」を合わせ、痛みから美しいものが生まれるという意味を象徴させたのです。過去を忘れるためではなく、「灰から生まれた人生と希望を祝うため」に家庭を作ったと言います。そこは彼らが帰るところであり、人生を喜び祝い、未来の約束にみんなでしがみつく場所だと言います。

もう逃げない

ニューメキシコ州アルバカーキで1983年7月18日に忽然と消えた空軍の大尉が、カリフォルニア州で発見されました。ニューヨークタイムズ紙によると、彼は仕事が嫌になって逃げたといいます。35年の逃亡生活。人生の半分近くを不安につきまとわれて過ごしたことでしょう。

何もかも失ったとき

半年でジェラルドの人生は激変しました。経済危機で事業と財産を失い、息子を事故で亡くしました。母はショックから心臓発作で死亡、妻はうつ病になり、ふたりの娘たちは深く傷つきました。「わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか」(詩22:1)というみことばを繰り返すほか、何もできませんでした。

逃げない

企業で働いたおかげで、多くの有能で良識ある人たちと出会いましたが、例外もあります。遠地にいる上司でしたが、彼はチームが成果を出しても厳しく批判し、毎週の電話で無理な要求をします。私は毎度の圧迫に脅かされ、逃げたいと思ったこともありました。

朝が来れば

ミュンヘン郊外の田舎町の宿に着いたのは、夜遅くのことでした。小さな部屋にバルコニーがあったので喜びましたが、夜霧の中、外の景色は見えません。しかし、数時間経って日が昇ると霧が晴れて、前夜には見えなかった景色が見えました。それは何とものどかな田園風景でした。青々と茂った牧草地で首に小さなベルを付けた羊たちが草を食み、ふわふわとした大きな羊のような白い雲が青い空に浮かんでいました。

凶器

ボクシングの英雄モハメッド・アリは、リングで敵を打ち負かすためにいくつかの戦術を使いましたが、そのひとつは、相手を挑発することです。1974年のジョージ・フォアマンとの戦いでは、相手に「おい!もっと強く打て。そんなんじゃこたえないよ。お前は凄いって話だったのにな」と悪態をつきました。苛立ったフォアマンは、怒りにまかせパンチを繰り出し、エネルギーを無駄に消耗し、自信も失いました。

辛い場所

私たちのバイブルスタディーのメンバーのひとりは仕事を失い、ファーストフード店で働くことになりました。彼は高学歴の技術者ですが、科学の急激な変化によって、自分の分野が世の中で用を成さなくなったのです。彼はその状況を、「辛く謙虚さを強いるもの」と語りましたが、さらに、こうも言いました。「ただ良いことは、店にいる若者たちが、私の信仰にとても興味をもっているようなのです。」メンバーのひとりがそれに応えて言いました。「君は謙虚で偉いなあ。強い信仰が無ければできないことだ。」