神は忘れない
ジョージ・リーレ(1750年~1820年)は有名ではないかもしれませんが、記憶されるべき宣教師です。奴隷の身分に生れましたが、キリスト者となり、独立戦争前に自由民になりました。その後、ジャマイカに渡って農園の奴隷たちに福音を伝え、ジョージア州サバンナで2つの教会を設立し牧会しました。バプテスト派の黒人教会はそのひとつから生まれたと言われています。
天の父の声
友人のお父さんが先日亡くなりました。診断の後、すぐに病状が悪化し、ほんの数日で天に召されました。父親と深い絆があった友人は、聞きたいことや話したいことがまだたくさんあったと言います。彼の職業はカウンセラーなので、家族を亡くした人の心をよく知り、そのような状況をくぐり抜けていく人たちを助けています。それでも、彼はこう言いました。「時々、父の声を聞き、父の愛を感じたいと無性に思うんだ。僕にとって、それは大きな意味があったから」。
死を意識して謙遜に
古代の学者ジェロームとテルトゥリアヌスは、ローマ帝国の華々しい戦勝パレードについて語ります。群衆は熱狂して喝采し、凱旋将軍は最高の栄誉に酔いしれました。しかし、将軍の後ろにはしもべがいて、「メメント・モリ」(死ぬことを忘れるな)と常に耳元でささやいていたそうです。栄光のただ中での必要は謙遜でした。死を意識して、それを得ようとしたのです。
成功と犠牲
息子は夏休みの宿題で、アルプスの山に登ろうとした少年の本を読みました。少年は日々訓練に明け暮れ、ついに山頂を目指す一団に入って出発しましたが、途中で病気になった仲間のために、彼と共に残る決断をしました。息子の先生は「登頂できなかった主人公は、負けたのですか」と生徒たちに尋ねました。「そうです。失敗に終わる運命だったんです」と答えた生徒がいる一方、「ちがいます。人を助けるために自分の大切なものをあきらめたのですから」と述べる生徒もありました。
謙遜な姿勢
ヤンの優しい夫は、彼女が会合に出かけるとき、「手を後ろで組んでいれば大丈夫だよ」と言います。自分が人の関心を買おうとしたり、場を支配しようとしたりしていると気付くと、彼女はそうします。謙虚に人の話を聞く気持ちになるからです。自分の前にいる人を愛し、謙虚になって聖霊に用いられなければ意味がないと思い出すのです。
どこにいても人を愛する
釣りをしている夫のそばで聖書を読んでいたときのことです。若い男性が近づいてきて、釣り餌を変えた方がよいと言いました。そして、私の聖書をチラっと見るや、自分は前科者だと言い、「神は俺のような人間の心配をしてくれるかなあ」とため息をつきました。私はマタイの福音書25章を開き、牢にいる人を訪ねることに関するみことばを音読しました。彼が、そんなことが書いてあるのかと言うので、神はご自分の子どもたちに対する親切を、ご自分に対する親切と見なしていると答えました(31-40節)。
恨まない
カナダ・フットボール・リーグの元選手だった73歳の男性2人が、2011年に行われたプロモーション・イベントのステージ上で、殴り合いのけんかをしました。彼らは物議を醸した1963年のチャンピオンシップの件で互いを恨んでいたのです。1人が相手をステージから突き落とすと、観衆は彼に「もう忘れて」と呼びかけました。
いかにして知らせるか
タイの北部に「集まり」という名前の超教派の教会があります。この前の日曜日は、韓国、ガーナ、パキスタン、中国、バングラデシュ、米国、フィリピンなどのキリスト者が、安いホテルの会議室で礼拝しました。そして「キリストのみで」「私は神の子」を共に歌いました。その歌詞はこの状況下では特に感動的でした。
アイデンティティー
アイスクリーム屋に5歳の息子と入って行くと、店員がこちらをちらりと見てから息子に差別的な言葉を投げかけました。私はメキシコ系アメリカ人として味わってきたやるかたない思いを噛みしめ、息子を引き寄せると遅れて入ってきた夫の方を振り向きました。夫は黒人です。注文すると、店員はしかめ面で返事もしませんでした。