神の物語に生きる
ヘミングウェイは、英単語6つで人の心を動かす物語が書けるかと質問され、「未使用のベビー靴、売ります」と答えました。この迫力の理由は細部を読者に想像させるからです。元気な赤ん坊のいらない靴でしょうか。それとも、神の深い愛と慰めを必要とする悲劇的な死の結果、靴が不要になったのでしょうか。
生きた供え物
大叔母は広告業界で活躍し、シカゴとニューヨークの間を飛び回っていました。しかし、田舎で世話を必要としていた両親のために退職しました。両親はふたりの息子を悲劇的な形で早く亡くし、彼女だけが残されました。彼女にとって、両親に仕えることが自分の信仰を表す形でした。
それはそれとして前進
ラジオ局のキャスターをしている友人が賢い助言をくれました。キャスターになりたてで、批判と称賛を同時に浴びて戸惑っていたとき「両方とも、それはそれとしておきなさい」と神が言われていると感じたそうです。つまり、批判から学べることがあるなら学び、称賛は感謝して受け入れる。しかし、そのどちらにも囚われず、神の恵みと力によって謙虚な気持ちで前進しなさいということです。
批判も称賛も、私たちの感情に大きな影響を与えるので、振り回されて過度に落ち込んだり、逆に尊大になったりしてしまいます。箴言は称賛と賢い助言の恩恵について、次のように語ります。「良い知らせは人を健やかにする。…訓戒を無視する者は、自分のいのちをないがしろにする。叱責を聞き入れる者は思慮を得る」(15:30-32)。
叱責を受けたなら、それを糧に益々実力に磨きをかけましょう。箴言は「いのちに至る叱責を聞く耳のある者は、知恵のある者の間に宿る」(15:31)と語ります。一方、称賛は感謝して受け取り、励みにしましょう。謙虚な気持ちで神と共に歩めば、批判と称賛の両方から学ぶことを覚えます。また、両方とも、それはそれとして前進できるようになっていきます(33節)。
思いやりの行動
帰宅した母が「エステラ、友だちのヘレン叔母さんからプレゼントが届いているわ」と言いました。私の家は裕福ではなかったので、郵便で贈り物が届くなど、クリスマスが二度来たようなものでした。この優しい叔母さんを通して、私は神に愛され大切にされていると感じました。
神に見られている
眼鏡を初めてかけたとき、世界がくっきり見えました。私は近視なので、近くの物はよく見えますが、遠くのものはぼやけて見えます。12歳の時に眼鏡をかけ、黒板の字や小さな木の葉、そして何よりも、みんなの笑顔がはっきり見えて感激しました。挨拶すると笑顔が返ってきて、私は見られることは、見ることと同じぐらい大きな恵みだと学びました。
ほめられるべきお方
巨大で悲しげな眼をした人や動物を描いた奇妙な絵が、1960年代の初め頃、評判になりました。妻の作品を夫が売り込み、夫婦はどんどん金持ちになりました。しかし、制作者のマーガレット・キーンは作品に署名をしていません。彼女の夫は妻の作品を自分のものと偽っていたからです。マーガレット・キーンは、この男性と離婚するまでの20年間、この詐欺行為を伏せていて、内心、恐れていました。これらの絵画の本当の作者が誰なのかは、法廷で争われました。
深い愛
エドウィン・スタントンは当初、リンカーンを冷遇しました。それは彼を「手の長い生き物」と呼ぶほどでしたが、リンカーンは、スタントンの能力を評価して無礼を赦し、南北戦争の時には重要な閣僚に任命しました。やがてスタントンはリンカーンを友と慕うようになりました。フォード劇場で狙撃された夜は、そばに付き添い死に際して「彼は今、時のかなたに行ってしまった」と涙を流しました。
自分の人生を分かち合う
末っ子が「イヤ!」と泣き叫びました。レゴブロックひとつを手放すことさえ耐えがたいのです。その幼稚さにあきれながらも、この態度は大人も同じだと思いました。多くの人にとって、自分以外の誰かに対して気前よくすることは簡単ではありません。
イエスは後ろにおられる
学校へ行く支度が早く終わったので、途中でドライブスルーに寄ろうと娘が言い、私は「いいよ」と答えました。車をレーンの入り口に入れて「今朝は喜びの種をまく気分?」と尋ねると、娘は「もちろん」と言いました。私は二人分のコーヒーを注文して受け取り窓口で車を止め、「後ろの車の若い人の分も払います」と言いました。娘は満面の笑みを浮かべていました。