依存の宣言
がんと闘う母のために、ローラはある朝、友人と祈りましたが、その人は脳性まひで身体が不自由でした。彼女は「主よ、あなたは私の何もかもを満たしてくださいます。どうかローラのお母さんにも、そうしてあげてください」と祈りました。ローラは、神に完全に依存しているという彼女の宣言に感動しました。そして「自分はどうだろう。毎日、何をするにも神に依存することを意識すべきだ」と思ったそうです。
言葉にできない
先日、仕事を終えた妻を迎えに行こうとして、スマホの音声入力を使い「ママ、どこに迎えに行けばいい?」とメールを送りました。子どもたちが巣立った後も、親しみを込めて妻を「ママ」と呼ぶことがあるからです。しかし、音声入力装置はこの言葉を聞き違えて「ババ」と文字化してしまいました。
みもと近くに
娘を学校に送った後、20分ほどの道のりを歩いて帰ります。この時間を使って聖書のみことばを暗記することができます。もちろん、やる気が必要ですが…。このときに繰り返し心の中で唱えたみことばが、その日の後になって、ふと思い浮かぶことがよくあります。そうすると安心感に包まれたり、知恵が与えられたりします。
視点を変えて
私たちの町は30年ぶりの厳しい冬を過ごしました。連日の雪かきで筋肉痛になり、いくらかいても減らない雪にうんざりしました。しかし、一段落して長靴を脱ぎ、家に入ると、暖かな暖炉とそれを囲む子どもたちがいます。安全な家の中から窓の外の景色を眺めると、視点も気分も変わり、かき残した雪にいら立つのではなく、美しいモノトーンの雪景色を楽しむことができました。
祈りによってのみ
夜遅く、がんで闘病中の友人から電話がありました。泣きじゃくっています。私はもらい泣きをしながらも「主よ、どうすればよいのですか」と、心中、祈りました。彼女の嘆きに胸が締め付けられそうです。身体や心の痛みを軽くしたり、何とかしたりするどころか、気の利いた励ましの言葉も思いつきません。しかし、助けてくださるお方は知っています。私は泣きながら「イエスさま、イエスさま」と呟きました。すると泣き声がすすり泣きになり、彼女の深い呼吸が聞こえてきました。やがて友人の夫が「妻は眠りました。明日電話します」と電話口で言いました。私は祈りつつ、涙で枕を濡らして眠りました。
祈りを贈る
ローラは「病気の弟のために教会の皆さんが祈ってくださるまで、私は祈りがどれほど大きな贈り物か理解していませんでした。皆さんの祈りは言葉で表せないほどの慰めでした」と言いました。彼女は涙ながらに、私たちの教会が、がんと診断された彼女の弟のために祈ってきたことを感謝しました。そして、その祈りが、彼女の弟に戦う力を与え、家族全員が励まされていると言いました。
通話許可ゾーン
いつでもどこでも人とつながれるので携帯電話は便利です。しかし、運転中に電話やメールをして恐ろしい交通事故を引き起こす人が絶えません。そこで運転中の携帯電話の使用を禁止する法律が世界各地にあります。アメリカの高速道路を走っていると、携帯電話の使用が許可されているゾーンを知らせる看板が目につきます。ドライバーはここに車を止め、心ゆくまで携帯電話で通話やメールをすることができるのです。
シートベルトを締めて
客室乗務員が「シートベルト着用のサインが点灯しました。気流の悪いところを通過いたします。お座席にお戻りになり、シートベルトをお締めください」とアナウンスするのには理由があります。乱気流の揺れで怪我をする危険があるからです。座ってシートベルトを締めていれば安全です。
祈りの力
イスラエルの賢い指導者サムエルが、困難に見舞われた民のためにとりなしの祈りをささげる場面を聖書で読んで、身近な人のことを心配していた私は励まされました。大好きなあの人のために頑張って祈ろうと堅く決心しました。