谷をともに歩む
英国の奴隷制度を廃止させたウィリアム・ウィルバーフォースの叔母ハンナは、死の床で知り合いの死について述べた手紙を残しています。「あの親愛なる方が、栄光の内に、彼の愛してきた見えないお方、イエスのご臨在の中に今いるとは、何と幸いなことでしょう。私の心は喜び踊っています」。そして、自身の状況については、「良くても、悪くても、どんなときでも、イエスは、いつも通り素晴らしい」と記しました。
柵を動かす
第二次世界大戦中のこと。その牧師は寝付けませんでした。戦死した仲間を埋葬してほしいと数名の兵士たちがやって来たのですが、教会墓地に埋葬するのは教会員だけだと答えました。すると彼らは、友人を墓地の柵の外に葬りました。しかし、翌朝、仲間の墓が柵の外にありません。牧師は言いました。「ここです。昨日言ったことを後悔したので、深夜に起きて、柵を動かしたのです。」
ホテルコロナ
エルサレムのダンホテルは2020年、新型コロナウィルス感染者の療養場所に指定され、「ホテルコロナ」と呼ばれて、良い意味で有名になりました。そこにいる人たちはすでに感染しているので、ともに歌い踊り笑う自由があり、実際そうしました。政治や宗教の対立が顕著な国でも、共通の危機のもとでは、互いを同じ人間ととらえて、友情さえ育めると学んだのです。
神の内に安らかに住まう
子どもたちが中学に入ったとき、それぞれに手紙を書きました。自分で自分のことがよく分からず不安だった、あの年頃の自分の経験を思い出し「キリストにある私」ということについて書きました。当時の私は、自分が神の愛する神の子どもである、と納得する必要がありました。私は「自分がどういう存在かという認識は、結局のところ、自分は誰のものなのかという認識なのです」と記しました。自分は、神に造られたことを理解し、神に献身的に従っていこうと決心するとき、私たちは自分のあるべき姿を安んじて受け入れることができます。
聖霊の助け
学生時代、友人たちと大学の講義を時々サボりましたが、期末試験の1週間前のクリス教授の講義には、学生全員が出席していました。試験問題の大きなヒントを出してくれるからです。
個人伝道
ドワイト・ムーディー(1837年-1899年)はキリストを信じてすぐ、福音を毎日、少なくともひとりには伝えようと決心しましたが、忙しくて、忘れることもありました。ある夜、寝床に入ってから思い出し、家を出ましたが、土砂降りの雨でした。こんな夜は誰にも会えないと思っていると、夜道を歩いてくる人がいます。彼は駆けて行って、傘に入れてほしいと頼みました。どうぞと言われると、「嵐のときの避難所はお持ちですか。イエスのことを話してもいいですか」と尋ねました。ムーディは、即座に伝道することを実践したのです。
自然の恵み
私たちは森の奥にどんどん分け入りました。1時間ほどすると滝のごう音が聞こえました。足を速めると、灰色の岩の上から大量の清水が流れ落ちる壮観な風景が現れました。中国雲南省の村の仲間たちはピクニックを計画していると言いました。良い考えでしたが、食べ物がありません。しかし、彼らは森の中に消えて行き、しばらくすると、果物や野菜、魚までも携えて戻ってきました。紫色の小さな花を咲かせた山菜の味は最高でした。
嵐を乗り越える
スコットランド人アレクサンダー・ダフは、1830年、宣教師としてインドに渡ろうとしましたが、南アフリカ沖で海難事故に遭いました。彼は他の乗客や乗務員たちとともに小さな無人島に流れ着きました。ほどなく、ひとりの乗組員が、海岸に打ち上げられたダフの聖書を発見しました。ダフは、聖書が乾くと、生存者たちに詩篇107篇を読み聞かせ、彼らは勇気を奮い起こしました。彼らは救助されましたが、さらなる破船の体験を経て、ついにインドに到着しました。
すべてご存じの神
親友とランチをした帰り道、私は車の中で声をあげて彼女の存在を神に感謝しました。彼女は私の欠点を知っています。奇妙に見える行動や癖、過去の大失敗も知っています。それにもかかわらず、ありのままの私を受け入れてくれる友人のひとりです。それでも、私には、誰とも分かち合えない人生の物語があります。勇敢でなかったり、過度に批判的だったり、不親切だったり、陰険だったりというエピソードです。一方、神は私のすべてをご存じです。人には話せないことも自由に話せる唯一のお方です。