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感謝の季節

リサは、秋の街は死を連想させるような暗くて陰惨な飾りが多くて嫌だと思いました。何とかしたくて、ささやかな抵抗を決行しました。手始めは、大きなかぼちゃに感謝している事柄を油性マジックで書くことです。一つ目は「おひさま」です。家を訪ねて来た人たちが、それにつづきました。「落書き」などと妙なことを書く人もあれば、「暖かい家」とか「故障していない車」など現実的な人、亡くなった家族の名前を書いて感傷的になる人もいました。かぼちゃの周りは温かい空気に包まれていました。

神の召し

ケイシーは不良少年のリーダーで空き巣や車上荒らし、コンビニ強盗、グループ間の抗争に仲間と共に明け暮れました。逮捕され、服役中も、囚人のボス的存在で問題を起こしました。そして独居房に入れられ、ぼんやりしていた時のことです。自分の人生の出来事が、走馬灯のように脳裏を駆け巡り、十字架に釘付けになったイエスが、彼に話しかけました。「これは君のためだ」。ケイシーは泣き崩れて回心しました。彼がこの経験を刑務所のチャプレンに話すと、チャプレンはイエスについてもっと教えてくれ、聖書もプレゼントしてくれました。

あなたの故に神は歌う

長男が誕生して17か月が過ぎ、娘もできました。私は大喜びでしたが、少し不安もありました。男の子のことは多少知っていますが、女の子のことは未知の領域ですから。娘をサラと名付け、妻を休ませるために、彼女を寝かしつける役目を買って出ました。私の子守歌は、なぜか「ユー・アー・マイ・サンシャイン」になりました。娘を腕に抱き、時にはベッドを揺らしながら、彼女のために歌いました。すべてが愛しい時間でした。娘はすでに大人ですが、私は今でも彼女を「サンシャイン」と呼びます。

神は聞いてくださる?

教会で祈りのカードに記された内容を祈るという奉仕をしていたことがあります。その多くは匿名で、結果について知る術はありません。正直なところ、私が祈って何かが変わるだろうかと自問する時もありました。そういう疑問を持ったことがある人は多いでしょう。私も旧約聖書のハンナのように、子どもが欲しくて長年祈りましたし、父の救いもずっと祈りましたが、父は確かな信仰告白をしないまま亡くなりました。

試練

標高4,200メートルを超えるコロラド・フォーティナーに初挑戦する息子たちは不安でした。最後まで頑張れるでしょうか。末の子は地面に座り込んで「パパ、もう限界」と何度も訴えました。しかし、私はこの試練は彼らのためだと信じました。父を信じてほしいとも思いました。もう無理だと訴えていた息子は、頂上手前で元気を取り戻し、私たちを追い抜いて一番乗りで登頂しました。不安でも父を信じて正解だったのです。

話し、信頼し、感じる

作家で神学者のフレデリック・ブフナーは、回顧録『秘密を語る』で、「話すな、信頼するな、感じるな、が、私たちが守ってきた規則でした。それを破れば悲惨でした」と語りました。悪いことが起こったときに守る家族の暗黙の規則がそうだったのです。この規則によると、ブフナーは父の自殺について話したり、悲しんだりしてはならず、心の痛みを打ち明けられる信頼できる人を求めてはいけなかったのです。

聖書を学ぶ

神学者のJ. I. パッカー(1926年~2020年)は、著書『神を知るということ』の中で、有名な4人のキリスト者に言及し、彼らを聖書ビーバーと呼びました。神学者でなくとも、ビーバーが木にくいつくように聖書にかじりついて、神を知ろうとした人だからです。パッカーは、聖書から神を知ることは、学者だけの仕事ではないと語ります。素朴な人が聖霊に満たされて、聖書を読み、説教を聞くなら、神学的正確さだけを云々する学者よりもずっと深く、神やイエスを知るようになると語ります。

内側から崩壊する

私が10代の頃、母はリビングの壁に絵を描きました。それは古代ギリシャの廃墟となった神殿の絵で、折れて横たわった白い柱や崩れた噴水、壊れた彫像が描かれていました。数年の間そこにあったヘレニズム様式の建造物の絵を見ながら、かつては美しかったはずなのに、滅亡の理由は何だったのだろうと想像しました。繁栄を謳歌した文明が内から崩れていった悲劇の歴史を学び始めていたので、こういうことに興味があったのです。

犠牲を払うとき

コロナ禍の初期、2020年2月の新聞のコラムにドキッとしました。あなたは赤の他人が病気にならないために、自ら進んで生活様式を変え、旅行や外食、ショッピングを自粛しますかと問いかけ、「これは単なる医療の問題ではなく、自分のことより他人のことを優先できるかという問題だ」と述べていました。突然、美徳というものが紙面を飾ったのです。