パパ、どこにいるの
家の前で、娘からの電話です。「パパ、どこにいるの!」と慌てています。私は6時までに戻って演劇の練習に送っていくと言っていました。時間どおりです。なのに、娘は疑っています。私は「表だよ。パパを信用しなさい」と言いつつ、神は何度、私にそう言いたかっただろうと考えました。切羽詰まると、私も同様です。神を疑って「父よ、どこにおられるのですか」と心で叫びます。
賞をめざして
アメリカ映画「フォレスト・ガンプ」(1995年日本公開)のフォレストは、走ることで有名になりました。この道の行き止まりまで、と 思って始めたものが、結局、3年2ヶ月14日と16時間走りつづけました。自分で決めた目的地に着くと、次の目的地を定め、もう走る気がなくなるまで、アメリカをジグザグに横断したのです。何となく走りたいと感じたことがそもそもの動機でした。フォレストは語ります。「あの日、特に理由もなく、僕は、ちょっ と走ろうと思った。」
警戒円
アフリカのサバンナに生息するガゼルは群れで「警戒円」を描いて休む習性があります。各々が外を向いて円を作り、違った方向を見ます。おかげで、地平線の360度を見渡せ、危険やチャンスを察知できます。互いに自分のことだけでなく、仲間のことも気をつけているのです。
本当の友だち
中学生のとき、私には「たまに友だち」という人がいました。同じ教会で唯一の同年代だったので、時々いっしょに遊びました。しかし、学校では事情が違いました。誰もいない所では声をかけてくれても、他の人と一緒だと素通りされました。それに気づいてからは、学校では声をかけなくなりました。教会内限定というこの友情の限界が分かったからです。
神の愛を表す数々の祝福
ある女性が2015年、亡き夫のパソコンを処分しようとリサイクル ショップに来ました。それは1976年製のパソコンでしたが、大切なのは、いつできたかではなく、誰が作ったかでした。それは、アップル社の創設者スティーブ・ジョブズが制作した200台のパソコンのひとつで、2500万円以上の価値がありました。物の価値は作者によって決まるということが世の中にはあります。
神におまかせ
ネイトとシェリリンはニューヨークの日本食レストランで「おまかせ料理」を堪能しました。料理人に何もかもまかせる食事は初めての経験で、リスクがあるようで不安だったのですが、彼らは板長の選択と料理を心から楽しみました。
楽園の溶岩流
ゆっくり進む溶岩流がパチパチと音を立てて木々を焼いていきます。住民が立ち尽くしていました。日頃「楽園」と呼ばれるハワイ島のプナ地区で、岩の裂け目から溶岩が流れ出し、この島が人には制御不能の噴火によって造られたことを再確認させました。
あきらめずに祈る
祈りについてE.Mバウンズ(1835-1913)が述べた「祈祷は不朽」は、世紀を超え人々を励まします。1925年、山崎亭治師が翻訳した著書「祈祷の目的」(東洋宣教會出版)は祈りについてこう語ります。「祈祷を捧げたる唇は死のために閉ぢ、祈祷を感じた心臓は其の鼓動を止めることがあっても祈祷は神の御前に生きている。而(しか)して神の心はその祈祷の上に止まり、これを捧げた人達の生涯よりも長く、又その世紀よりも長く、又世界よりも長く生きるものである」。
世界で一番好き
姪のジェンナは3歳で、私をメロメロにさせるしぐさをします。自分の好きなこと、例えば、バナナクリームパイを食べたり、トランポリンやフリスビーで遊んだりする時、大げさに腕を一振りして「これが世界で一番好き!」と宣言します。こんなに大胆に「好き!」と表現したのはいつ頃までだっただろうと、自分の過去に思いを馳せるときさえあります。
ヨハネは、何度も「神は愛です」と書きました(Ⅰヨハ4:8、16)。それは現実の根底にあるものは、怒り、恐れ、恥ではなく、すべての土台は神の愛だという認識を、大人は持ちにくいからかもしれません。人々は自分が最も恐れていることに基づいて分断され、自分にとって都合の悪い見方を悪者呼ばわりしたり無視したりしがちです。しかし、人々の勢力争いの中でも(5-6節)、神の愛の真理は変わることなく闇を照らす光です。真理は、謙遜、信頼、愛を学ぶように促します(1:7-9、3:18)。私たちの不都合な真実を、光が暴露したとしても、それでも、私たちは神に愛されています(4:10、18、ロマ8:1)。
ジェンナが「世界で一番好き」と私に耳打ちすると、私も「世界で一番好きよ」と応じます。そして、神の無限の愛に抱かれていることを感謝します。