息を呑むような栄光
ヨーロッパ旅行の楽しみのひとつは点在する大聖堂を訪問することです。天に向かってそびえたつ建物の美しさは息を呑むほどです。また、中に収められた絵画、彫刻などは驚くほど素晴らしく荘厳で、訪れる人を魅了します。
黙々と前進する
職場の近くで塀際の道のコンクリートの割れ目に植物が育っていると気づきました。悪条件にも関わらず、乾いた割れ目に根を張って、花を咲かせたのです。ふと見ると、真上にはエアコンの室外機があって水滴が落ちていました。厳しい環境下でも上からの水という助けを得ていました。
再出発
クリスマスが終わって年末が近づくと、新しい年について考えます。子どもたちが冬休みに入って生活のペースがゆっくりしてくると、その年に起こったこと、来年の目標について思い巡らします。自分の失敗を思い出し、心が痛んだり、後悔したりもします。しかし、新しい年を迎えると思うと、やはり期待に胸が膨らみます。去年はどうであれ、再出発のときだと感じるからです。
信仰を作り上げる記憶
礼拝堂に足を踏み入れ、大晦日の祝賀会に集まった人々を見回すと、様々な祈祷課題が思い出され感無量でした。私たちの教会はみんなで、子どもの非行、家族の死、失業、離婚などの悲しみを分かち合ってきました。一方で、神の恵みも体験しました。人が回心し、人間関係が癒されました。勝利や結婚、卒業、受洗も祝いました。子どもの誕生、養子縁組、献児式、その他にも多くのことがありました。
ひと区切りをつける
年の瀬が迫ると片付かない仕事に落ち込むことがあります。家事や仕事には終わりがなく、今日できないことは明日に…と延々とつづきます。しかし、信仰の旅路では時々区切りをつけ、神のご真実と完了した仕事を思って、祝うことが大切です。
目に残るもの
ハチドリの英語名は「ハミングバード」でブンブンという羽音からつけられました。ポルトガル語では「花にキスするもの」、スペイン語では「飛ぶ宝石」。メキシコのサポテカ族の言葉では「ビウル」です。これは「目に残るもの」という意味です。つまり、いったん目にしたら、その姿を忘れることは決してないと言っているのです。
普段の生活
食料品をトランクに積み込み、ゆっくり車を出そうとすると、突然、男の人が前を横切りました。こちらに全く気づいていません。とっさにブレーキを踏み、止まりました。その人はびっくりして顔を上げ、私と視線が合いました。むっとするか、「大丈夫よ」と笑顔を向けるか、それは私の選択です。私は笑顔を選びました。彼の顔に安堵と感謝の表情が浮かびました。
感謝日記
信仰を持ったばかりの頃、感謝日記をつけるように勧められました。そこで、小さなノートをいつも持ち歩き、感謝なことがあるとその場で書き留めたり、週末に振り返って書き込んだりしました。これはとても良い習慣なので、久しぶりに再開しようと思っています。そうすれば、神のご臨在を意識しやすく、神が与えてくださったり、守ってくださったりしたことをきちんと感謝できます。
どういうこと?
アンドリュー・チートルは海で携帯電話を紛失しましたが、1週間後、グレン・カーリーと名乗る漁師から携帯電話を見つけたと連絡がありました。釣り上げた重さ11キロのタラのお腹から出て来たといいます。乾かしてみたら起動したそうです。