疲れているとき
定時が過ぎた静かな社内でパソコンの前に座っていました。仕事が終わって気分爽快のはずが、ぐったり疲れていました。仕事の問題や人間関係のことで身体が硬くなり、肩も凝っています。その晩は気分転換にテレビでも見ようと思いました。
鐘の音を聞いた
アメリカの詩人ワーズワースが1863年に書いた詩をもとにして作られた「クリスマスの鐘」という歌は、かなり変わったクリスマスソングです。その歌詞は、嬉しい楽しいクリスマスといったものではなく、嘆きと訴えです。「私は絶望して頭を垂れる/地に平和はない/憎しみは強く、地上に平和、人に善意と歌う歌をあざわらう」。しかし、この嘆きは希望に変わり、私たちを安心させてくれます。「神は死んでいない、眠ってもいない/悪者は滅び、正しい者が勝つ/地に平和、人に善意」
暗い日々、深い祈り
人気芸能人が「暗い日々だった」とコロナ禍の中の自分を語りました。「新しい生活様式」に適応できず、不安の中で自殺願望が芽生えたと言います。負の連鎖に陥らなかったのは、信頼できる友人に悩みを打ち明けらけれたからだと語ります。
感情を持っている
息子の薬物依存のことでシエラは疲弊していました。「情けないわ。祈ると涙が止まらない。信仰が薄いと神様に思われるかしら」と尋ねるので、「それは分からないけれど、神様は激しい感情を受け止めてくださるわ。私たちに感情があることはご存じだから」と答えました。そして、彼女の息子のために一緒に泣きながら祈りました。
泡の上
スポーツ選手が当落線上にいることを「泡の上」と最初に表現したのは1970年5月、スティーヴ・クリシロフのインディ500の出場が危ぶまれた時でした。ルーキーテストのタイムは合格者の中で最下位でしたが、結局、出場は許されました。
絶望の写真
世界大恐慌下の米国で、著名な写真家ドロシア・ラングは、フローレンス・オーウェンズ・トンプソンと彼女の子どもたちを撮影しました。その有名な写真「移民の母」は、エンドウ豆の不作の後の絶望を捉えています。この写真をカリフォルニア州ニポモで撮影した時、ラングは農業安定局の仕事をしており、農場の季節労働者の窮状を当局に知って欲しいと願っていました。
私たちの帰る場所
それぞれが最初の伴侶を悲劇的に失って数年後、ロビーとサブリナは恋に落ち、各々の子どもを連れて再婚しました。彼らは新しい家庭を「ハビラ」と名づけました。ヘブル語の「苦しみもだえる」と「生む」を合わせ、痛みから美しいものが生まれるという意味を象徴させたのです。過去を忘れるためではなく、「灰から生まれた人生と希望を祝うため」に家庭を作ったと言います。そこは彼らが帰るところであり、人生を喜び祝い、未来の約束にみんなでしがみつく場所だと言います。
もう逃げない
ニューメキシコ州アルバカーキで1983年7月18日に忽然と消えた空軍の大尉が、カリフォルニア州で発見されました。ニューヨークタイムズ紙によると、彼は仕事が嫌になって逃げたといいます。35年の逃亡生活。人生の半分近くを不安につきまとわれて過ごしたことでしょう。
何もかも失ったとき
半年でジェラルドの人生は激変しました。経済危機で事業と財産を失い、息子を事故で亡くしました。母はショックから心臓発作で死亡、妻はうつ病になり、ふたりの娘たちは深く傷つきました。「わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか」(詩22:1)というみことばを繰り返すほか、何もできませんでした。