暖かい歓迎
スティーブに癌が見つかりました。しばらく教会に行けないと分かり「誰がみんなをハグするんだい」と言いました。スティーブは暖かい握手と「聖なる口づけをもって互いのあいさつをかわしなさい」(ロマ16:16)を現代風にした「聖なるハグ」で教会に来る人を暖かく迎えてくれる人です。私たちはスティーブの癒しを祈っています。一方、スティーブ自身は、自分が手術や治療で教会から遠のいている間に、暖かい挨拶が教会でなおざりにならないように願っています。
人となった神
夫が1カ月間の出張に出発してほどなく、私は仕事と家事、育児をひとりでこなすやり繰りに圧倒されてしまいました。原稿の締め切りが迫っています。庭の芝刈り機が壊れました。学校の長期休暇で子どもたちは退屈しています。ひとりでどうすればいいのでしょう。
遺産を遺す
息子たちと人里離れたアイダホ州の牧場で過ごしたことがあります。サーモン川の近くです。散策していると墓がありましたが、木の墓標に書かれた文字は、ずいぶん前に消えてしまったようでした。この地で生まれ死んでいったその人は、今は忘れられています。私は悲しくなり、その辺りの歴史を調べましたが、あの墓に葬られた人を見つけることはできませんでした。
生きる意味
家計の見直し方の本を何冊か見て面白い傾向を発見しました。どれにも役立つ助言がありましたが、節約の目的は豊かな未来のためと暗示しています。ところが、1冊だけは違いました。シンプルな生活こそが豊かな生活で、もっと多くを…という姿勢は、生きる意味を見失っていると語ります。
神には宝
彼の名前はデービッドですが、ほとんどの人は彼を「路上のヴァイオリン弾き」と呼びました。むさくるしい格好の老人でしたが、街頭でヴァイオリンを見事に演奏し、通行人に聞かせていました。聴衆が歩道に置かれた楽器ケースに小銭を入れると、演奏を続けながら、にっこりと会釈して感謝を表しました。
さばきに勝るあわれみ
口げんかしていた子どもたちが、相手のことを告げ口にやってきました。私はひとりずつ個別に、それぞれの言い分を聞きました。どちらにも悪いところがあったので、公平なさばきは何かと尋ねました。すると、どちらも即、罰を与えるべきだと提案しました。そこで私は、その公平なさばきを、言った本人に与えることにしたのです。すると子どもたちは不公平だと文句を言いました。相手をさばく公平な物差しと言っていたのに、それで自分がさばかれると、この様です。
皆を愛する
私は広い庭のある教会で礼拝をささげていますが、これは国土が縦40km横24㎞しかないシンガポールでは珍しいことです。少し前から外国人労働者が毎週日曜日、ここでピクニックをするようになりました。この状況に教会員の反応は様々でした。ゴミを散らかすと言って腹を立てる人もいました。一方、自分たちの方からわざわざ出て行かなくても在留外国人をもてなす機会が与えられたと考える人もいました。
安心の毛布
スヌーピーの漫画に登場するライナスは優しく頭が良いのですが、いつも毛布を持っています。それで安心感を得ようとしているのです。私たちにも恐れや不安がありますから、彼と同じです。
思いがけないあわれみ
高校2年生の時のある金曜日、アルバイト先のボウリング場で夜遅くまで汚れたフロアをモップがけしました。清掃スタッフが急に病気で休んだからです。彼の欠勤について上司に連絡しませんでした。掃除ができていれば問題は無いし、彼を驚かせたかったからです。ところが大問題が起きました。翌朝、扉を開けるとボウリング場は水浸しで、ピンやスコアカード、トイレットペーパーがぷかぷか浮いていました。私は前夜、水を出しっぱなしのまま帰ってしまったのです。しかし上司は怒るどころか「頑張ろうとしたんだね」と笑顔でハグしてくれました。思いがけないあわれみでした。