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壁を壊して一つになる

ベルリンの壁は家族や友人を分断してきました。東ドイツ政府が市民の逃亡を防ぐために1961年に建設したのですが、実際、250万人以上が1949年から壁の完成までに西側に移ったと推定されています。米国レーガン大統領は、1987年、壁の前で「この壁を壊しなさい」と演説しました。彼の言葉は歴史の大きなうねりを反映しており、それが頂点に達した1989年、壁は崩壊し、やがてドイツは再統一しました。

希望の光

クリスマス休暇はがん治療センターに入院中の母を見舞う予定でした。私の願いはただ、母ともう1日、一緒に過ごすことでした。母のベッドの横に掛けられているはずだった赤い十字架。それは今、我が家の質素なツリーに掛けられています。息子がライトをつけました。小声で「ありがとう」と言うと、「どういたしまして」と息子。しかし、私の感謝は神に向けられていました。神は点滅する光を用いて、決して消えない希望の光に注目させてくださったのです。

クリスマスの困り事

デイビッドは夫婦で神に任命されたと信じて外国に赴き、自分たちの働きが結実することを通して、その使命を確認していました。しかし、彼の高齢の両親はクリスマスを二人きりで過ごさねばなりません。デイビッドたちはプレゼントを早目に送ったりクリスマスの朝に電話をかけたりして、両親の寂しさを和らげようとしましたが、彼らの希望は息子たちに会うことでした。夫婦の収入では、たまにしか帰国できません。デイビッドには知恵が必要でした。

神の御前にみな、平等

夫婦で休暇中に早朝サイクリングを楽しみました。大豪邸が並ぶ地区を通ると、そこにはいろいろな人がいました。犬の散歩をする人、サイクリングをする人、新しい邸宅を建てる労働者、地域の美観のために働く人などです。あらゆる社会層の人がいましたが、そこで大切な事実を再確認しました。私たちはみな、同じだということです。金持ちでも貧乏人でも、資産家でも労働者でも、有名でも無名でも。聖書が「富む者と貧しい者が出会う。どちらもみな、造られたのは主である」(箴22:2)と語る通り、異なる部分があっても、万人は神のかたちに造られたのです(創1:27)。

偏見と神の愛

ある人に「君は予想に反していた。大嫌いになると思っていたのに、ならなかった」と言われたことがあります。ずけずけとした物言いですが、実は友好的でした。私は彼の国に留学したことがありましたが、昔、私たちの国は敵同士でした。クラスでグループに別れて討論していた時も、彼は距離を置いているようでした。それで、何か失礼なことをしましたかと尋ねると、「全然。でも、そこなんだ。僕の祖父はあの戦争で戦死したから、君の国もその国の人も大嫌いだった。けれども今、僕らはずいぶん似通っているなと気付いて驚いている。友達になれない理由なんて無い」と、彼は答えました。

善意を増やせ

ビジネスで成功する秘訣(ひけつ)を問われて「親切さ」や「気前の良さ」と言う人は少ないでしょう。しかし、起業家のジェームズ・リーは違います。彼は破綻寸前の会社を優良企業に再生しました。その経験によると、彼が「善意」と呼ぶもの、すなわち、親切、受けるより与える、という気風の醸成が鍵だといいます。これを会社の中心に据えるなら、社員は希望を持ち、団結して問題解決に取り組んだり、新しい価値を生む事業を起こそうと動機づけられるのだそうです。彼は「善意は……正真正銘の資産だ。化学反応を起こして増えていける」と説明します。

すべての人へ

ダン・ギルは9歳の時、親友アーチーと同級生の誕生日会に行きました。ところが、その家の母親は「椅子が足りない」と言って、黒人のアーチーを入れてくれません。ダンは自分が床に座ると言いましたが断られ、仕方なくプレゼントを置いて帰りました。親友が拒絶されたという痛みが心に深く刻まれました。時が流れ、ダンは現在、学校の先生です。彼の教室には、いつも予備の椅子が一つあります。生徒が理由を聞くと、教室はみんなの居場所ということを忘れないようにするためだと説明しています。

とげを優しく抜く業

シエナのカタリナは14世紀に「とげがあなたの足に入りました。それであなたは夜、時々痛くて泣くのです。それを引き抜くことのできる人は世界に存在します。その業は『神』から学ぶのです」と記し、その「業」を磨くために人生をささげました。苦悩する人々に共感と同情を示し尽くした驚くべき業は、今日まで語り継がれています。

神に仕える

英国のエリザベス女王の国葬が2022年9月に行われた時、1万人を超える兵士や警察官が警備にあたりました。個々の役割は特段のものではありませんが、彼らの多くはそれを最高の栄誉と思いました。ある兵士は、「女王陛下のために最後の務めを果たす機会」だと語りました。彼にとって、何をするかではなく、誰のためにするかが、職務の重要性を決定づけたのでした。