怒りの管理
あるとき夕食を共にした友人が、実は、家族のひとりにうんざりしていると言いました。その人には彼女を無視したり、馬鹿にしたりという悪い癖があるのですが、彼女はそれを指摘できないと言います。以前、思い切って意見したところ辛辣な言葉を返され、堪忍袋の緒が切れてしまいました。そして口喧嘩になり、ふたりの溝が深まったからです。
最初の一歩を踏み出す
タム・ダシュは人生で何かが欠けていると感じ、娘が通っている教会に行くことにしました。しかし、娘といっしょには行きません。以前、彼女を怒らせたことが、ふたりを疎遠にしていたからです。タムは賛美が始まる頃に会堂に来て、礼拝が終わるとすぐに帰りました。
手紙を書く
母と姉妹たちは、今でも手紙という旧式な方法で、毎週のように日常のあれこれと喜怒哀楽を分かち合っています。私はこの文通を素晴らしいと思います。また、信徒の人生はキリストの手紙だというパウロの言葉を深く噛みしめさせてくれます。
私を運んでくださった
最近、大学時代の日記が出てきて、思わず読み返しました。すると、今、自分について感じているように当時は感じていなかったことに気づきました。孤独と葛藤し、信仰に対してもかなり悩んでいました。しかし、今、振り返ってみると、神がより良い状況に私を運んでくださったことが分かります。神があそこから優しく導き出してくださったことを思うなら、今、辛いと感じていることも、やがては、神の癒しの物語の1ページになるはずです。
嘆きのミニストリー
私は姉夫婦を2002年に事故で亡くしました。数か月後、悲しみを通して成長する」と題したワークショップが教会で開かれました。私は友人に誘われて仕方なく参加しましたが、初回だけにするつもりでした。ところが、神と仲間の助けを受けて、大切な人を失った痛みと向き合おうとしている誠実な人たちに出会い、毎週、その会合に引き寄せられました。そして、悲しみを互いに語り合うことで喪失を受け止め、平安を取り戻していきました。
神は新しいことを
最近、聖研グループのリーダーが「神はあなたに何か新しいことをされていますか」と質問しました。すると、困難な状況を抱えているミンディーが答えました。彼女は高齢の両親の世話、夫の健康問題、信仰の決心をしていない子や孫たちの話をしましたが、態度は穏やかでした。そして「私が愛を実践できる機会を増やし、私の愛する力を強める。神が私になさっている新しいことはこれです」と語りました。
心を配る
ジョン・ニュートンは次のように書きました。「もし帰宅の途中、半ペニーを落とした子がいて、私が弁償してあげることでその子の涙を拭えたのなら、私は自分が何かを成したと思います。もっと大きなことをして喜ぶことも重要でしょうが、このことも軽んじはしません。」
他の人を顧みる
ハイメは巨大な多国籍企業で働いています。新入社員の頃、社内で人が話しかけてきました。彼は相手の質問に答えると名前を尋ねました。すると「リッチです」とのこと。ハイメは「初めましてリッチ。それであなたの仕事は?」と尋ねました。すると彼は「この会社のオーナーです」と答えたのです。ハイメはハッとしました。この飾り気のない人が、世界有数の富豪のひとりでした。
収穫のために色づいている
夏の終りに英国のニューフォレストを散歩し、近くで馬がたわむれるのを見ながら野生のブラックベリー摘みを楽しみました。昔々、誰かが植えたであろう甘い実の味を堪能しながら「わたしは、あなたがたに自分で労苦しなかったものを刈り取らせるために、あなたがたを遣わしました」(ヨハ4:38)というイエスのみことばに思いを馳せました。