どんな時も賛美しよう
私たち教会員が最初の会堂を建てた時、内装工事前のコンクリートの柱や床に、神に感謝する「落書き」をしました。壁板を剥がすと「あなたは良いお方!」というような賛美と共に、いくつもの聖書のみことばが見つかるでしょう。その「落書き」を消さずに残したのは、いろいろ大変だったけれど、神は私たちに良くしてくださったことを、次の世代の人たちに証しするためです。
望みと願い
アメリカからイギリスに移り住むと、感謝祭の祝日が、11月の普通の木曜日になりました。週末は特別なごちそうにしましたが、家族や友だちと過ごす休日を懐かしく思いました。そんな気持ちは、私だけのものではありません。祝祭日や特別な日は、大切な人と一緒に過ごしたいものです。そして、祝宴の最中でも、亡くなった人をしのんだり、疎遠になってしまった人を思って祈ったりします。
感謝と喜び
心理学者のエモンズは、被験者を3つのグループに分けて、日記をつけてもらいました。グループ①には感謝したこと、グループ②には面倒だったこと、グループ③にはちょっとした出来事を、それぞれ毎週5つずつ書いてもらいました。その結果、感謝を書き出した人たちは、他の人たちより、人生を肯定的に捉え、将来について楽観的で、健康上の問題も少なかったという結果になりました。感謝は人生の見方を変え、幸福にさえしてくれるのです。
癒やされた者として
インドに生来盲目の姉妹がいました。父親は働き者でしたが、目の手術の費用を捻出することはできません。ところが医療宣教団がやってきました。手術の翌朝、包帯が解かれると笑顔がこぼれました。ひとりは「お母さん、見える!」と叫びました。
もう1度歌おう
オーストラリアに生息するキガオミツスイは危機に直面しています。仲間たちが300羽ほどに減ってしまい、歌い方を習えません。それで求愛が成功しないのです。幸い保護活動が進行中です。録音した独特の鳴き声を聞かせて、心の歌を思い出させるように助けています。オスが鳴き方を習得して求愛に成功し、個体数が増えることを願っています。
涙を謝らないで!
カレンは夫に先立たれ、子どもたちを養うために必死でした。教会の友人たちが、彼女たち家族を楽しませようと週末キャンプを企画すると、カレンは感動して涙し、泣いてしまったことを何度も謝りました。
感謝の心
古代ローマの偉大な哲学者セネカ(紀元前4年~西暦65年)は、皇妃メッサリナに姦淫の罪を告発され、元老院に死刑を宣告されました。しかし、皇帝クラウディウスは、コルシカ島への流罪に処したのです。おそらく、告発が虚偽だと思ったのでしょう。この減刑が、感謝に関するセネカの考えに影響を与えたのかもしれません。彼は、次のように書き残しました。「殺人、圧制、窃盗、姦淫、強盗、冒涜、反逆は、常に存在するが、それを超える重罪は、恩知らずという罪だ」
鐘を鳴らせ
ダーラは、30クールの放射線治療の後の検査で、がんは消滅していると言われました。それで、「解放の鐘」を鳴らしたくてうずうずしていました。治療が終了し、健康になったことを祝って鳴らす、この病院の伝統、「解放の鐘」です。彼女は、この祝賀セレモニーが本当に嬉しく、興奮しすぎて、ベルからロープが外れたほどでした。明るい笑い声がホールに響きました。
感謝の季節
リサは、秋の街は死を連想させるような暗くて陰惨な飾りが多くて嫌だと思いました。何とかしたくて、ささやかな抵抗を決行しました。手始めは、大きなかぼちゃに感謝している事柄を油性マジックで書くことです。一つ目は「おひさま」です。家を訪ねて来た人たちが、それにつづきました。「落書き」などと妙なことを書く人もあれば、「暖かい家」とか「故障していない車」など現実的な人、亡くなった家族の名前を書いて感傷的になる人もいました。かぼちゃの周りは温かい空気に包まれていました。