家の前でほっと一息
猛暑のある日、8歳のカーマインは、郵便配達員が熱中症にならないように、スポーツドリンクと水を入れたクーラーボックスを自宅の門の前に置きました。家の防犯カメラには、郵便配達人が「すごい!水とスポーツドリンクだ。神さま、感謝します!」と喜ぶ映像が残っていました。「カーマインは、郵便屋さんに冷たい飲み物をあげるのが自分の責任だと思っているのです」と彼の母親は語ります。
不思議に焦点を
世界を見て悪い部分ばかりが目に留まることがあります。しかしナショナルジオグラフィック誌の写真家、デウィット・ジョーンズ氏は、世界の良い部分を撮影して共に喜ぼうとしています。彼は、一条の光が差し込んだり、見方が変わったりして、元々あるのに気づかれなかった素晴らしい面が現れるときを待ちます。そして自然や人間のごく平凡な表情の内に潜む美しさをカメラで捕えるのです。
そばにおられる神
蜘蛛が好きな子がいるでしょうか。夜、床に就こうとして見つけたら…。ある晩、娘のベッドのそばに蜘蛛がいました。彼女の「パパァ蜘蛛がいるよぉ」という悲鳴に飛んで行って部屋中を探しましたが、隠れてしまって見つかりません。私は大丈夫だと言いましたが、娘は納得しません。それで、そばにいてあげるからと言うと、ようやく床に就きました。
信じ切ること
大学卒業後、低賃金の仕事に就き、次の食事のお金がないことさえありました。そのとき「日々の糧」について、神を信頼することを学びました。
すぐに駆け付ける
母が癌だと言われたとき夫は職場にいました。それで伝言を残して友人や親戚に電話をしました。しかし誰もいません。震える手で顔をおおい泣きました。「主よ、助けて下さい」すると「私はここにいる」と返事があったように感じ、孤独な瞬間でさえ、慰めがありました。夫が帰宅し、親戚や友人が心配して連絡してきてくれたのはありがたいことでした。しかし、ひとりで悲しみに耐えていたときに神の臨在を感じたことで、私は、いつどこで助けを求めても、神は必ずすぐにそばにいてくださると確信しました。
記念の石
フェイスブックには時々、何年か前に投稿した事が「思い出」として表示されます。それは例えば、弟の結婚式の写真、ひいおばあちゃんと遊んでいる我が子のビデオなどで、私を笑顔にしてくれます。しかし、時には深い感慨にひたらせるものもあります。義理の兄が化学療法をしていたときに自分が書いた言葉や、脳の手術をしたときの母の写真などです。これらを見ると、困難な状況の中に、神の御臨在が確かにあったことを思い出します。これらの「思い出」は、感謝をささげ祈るように、私を促してくれます。
どういうこと?
アンドリュー・チートルは海で携帯電話を紛失しましたが、1週間後、グレン・カーリーと名乗る漁師から携帯電話を見つけたと連絡がありました。釣り上げた重さ11キロのタラのお腹から出て来たといいます。乾かしてみたら起動したそうです。
神の助けによって
加齢で関節痛がひどくなり、寒い日は大変です。老いに負けたような気分になります。そんなわけで老人カレブは私の英雄です。彼は約束の地カナンを偵察したスパイのひとりでした(民13-14章)。仲間たちがモーセに否定的な報告をしたのに、彼とヨシュアだけは神が勝利をくださると言いました。ヨシュア記14章は、割当地を受け取るときがカレブに来たと語ります。しかし、そこには未だ追い払うべき敵がいました。カレブは戦いを若い者に任せて隠居したりせず、次のように言いました。「あなたが聞いたように、そこにはアナク人がおり、城壁のある大きな町々があったのです。主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことができましょう」(ヨシ14:12)。
やり直しのチャンス
リンダは過ちを繰り返した揚げ句、外国で刑務所に入る羽目になりました。6年間の刑期を終えて釈放されましたが、行く所がありません。人生は終わったと思いました。しかし、故国の家族が旅費を工面する間、親切な夫婦が宿と食べ物を提供し助けてくれました。