愛の内に守られて
パリ市は2015年6月、ポンデザール橋から45トンもの南京錠を撤去しました。恋人たちが橋の欄干に自分たちのイニシャルを刻んだ南京錠を掛けて、鍵をセーヌ川に投げ入れるという儀式が繰り返されています。それが何十万回にも及んだので、橋が「愛の重み」に耐えかねることのないように、パリ市は「愛の南京錠」を撤去しました。
個人的な話
ニューヨークの教会の外に、キリスト降誕を人形で再現した展示がありました。その飼い葉おけの中に、新生児が入れられているのが見つかりました。困窮した母親が赤ちゃんを暖かく包んで、助けてもらえそうな所に置いたのです。彼女を非難することもできますが、この子に生きるチャンスが与えられていたことを、神に感謝したいと思います。というのも、私自身が養子で、自分の出生について何も知らないからです。
静かな会話
みなさんは独り言を言いますか。私は、車の修理をするときなどに、こうして、ああしてと、声に出して考えをまとめます。それを人に聞かれたら、少々恥ずかしいと思いますが、ほとんどの人は毎日、独り言を言っているのではないでしょうか。
素晴らしい
ふたりの少女がいます。ひとりは健康で丈夫、もうひとりは車椅子に乗っていて、誰もが経験する人生の悩みだけでなく、身体の痛みや困難と戦っています。ところが、このふたりは大の仲良しです。一緒にいるのが楽しく、ニコニコ笑っています。ふたりは素晴らしい少女たちで、互いのことを大切な友だちだと思っています。
国境なき愛
中国で義和団の乱があった1900年、太原市(タイユアン市)の家に閉じ込められた宣教師たちは、助かる望みがあるとしたら、それは彼らの命を狙う群衆の中を突破することだけだと腹をくくりました。そして、武器を片手に何とか脱出しましたが、エディス・クームズは、ふたりの中国人学生が負傷して逃げられなかったことに気づき、危険を冒して引き返しました。彼女は、ひとりを救出しましたが、ふたり目を助けようとしたところで見つかり、殺されてしまいました。同じ頃、忻州(シンチョウ)の宣教師たちは、中国人伝道師、何全奎(カ・ゼンケイ)に伴われて田舎に逃げ、隠れていました。しかし何は、宣教師たちの脱出路を偵察中に捕まり、隠れ家を教えなかったために殺されました。このふたりは、文化や国籍を超えて友を愛しました。彼らの自己犠牲は、それ以上に大きなイエスの愛と自己犠牲を、私たちに示しています。
新たな目的
仕立屋のジェイコブ・デイビスは悩んでいました。1800年代、アメリカ西部はゴールドラッシュの最盛期で、金を採掘する人のズボンはすぐに擦り切れました。そこで、彼はリーバイ・ストラウスが所有する地元の織物会社でテント用生地を買い、厚くて丈夫なズボンを作りました。これがジーンズの起源です。今日、リーバイスを含むデニムジーンズは世界中で愛用されていますが、そもそもは、テント用生地が新たな目的で使われたのです。
困難の丘
アイダホ州の我が家からは、北にジャグハンドル山が見えます。そのふところには氷河湖がありますが、そこに至る道は、急な登り坂と野ざらしの大きな岩や浮き石に阻まれる険しい尾根道で、過酷な登山です。
安全な居場所
怖くて家を出られない青年がいました。彼は人を避けるために日中に眠り、夜はテレビを見て過ごしました。いわゆるひきこもりです。発端は、学業の問題で不登校になったことでしたが、外の世界から離れている時間が長くなるにつれ、社会に溶け込めないという不安も強くなりました。そして、友人や家族とも話さなくなりました。ところが、「居場所」という若者の集まりに参加し、今は快方に向かっています。そこは、傷ついた人々が社会に向けて再出発できる安全な場所だそうです。
人生の節目
民数記33章は読み飛ばしやすいところです。イスラエルの民は、エジプトのラメセスを出てモアブの草原にたどりつきましたが、その途上の地の名前を単に羅列しているだけに見えるからです。しかし、民数記の中で「主の命により…書き記した」(2節)と書かれているのは、この個所だけです。さぞかし重要なのでしょう。