預言者のメッセージ
スポーツ記者ヒュー・フラートンには鋭い分析力がありました。1906年の野球のワールドシリーズで、前評判の高いシカゴカブズは、第1試合と第3試合に負け、第2試合には勝ち、第4試合には雨が降ると予想し、その通りになりました。1919年のワールドシリーズでは八百長試合を疑いました。世間は笑いましたが、またも正解でした。
どんな時も賛美しよう
私たち教会員が最初の会堂を建てた時、内装工事前のコンクリートの柱や床に、神に感謝する「落書き」をしました。壁板を剥がすと「あなたは良いお方!」というような賛美と共に、いくつもの聖書のみことばが見つかるでしょう。その「落書き」を消さずに残したのは、いろいろ大変だったけれど、神は私たちに良くしてくださったことを、次の世代の人たちに証しするためです。
いつ役に立つの?
孫のローガンは6年生で、代数の宿題をしながら、将来の夢はエンジニアになることだと言いました。そして、私に手伝ってもらいながら、xやyを使って計算問題を解きつつ、こうつぶやきました。 「こんなこと、いつ役に立つの?」
聖書を学ぶ
最初は1877年にカナダのモントリオールで、続いて1898年にはニューヨークで、それは始まりました。1922年までには、北米の約5千カ所で、子供の夏季聖書キャンプが開かれるようになりました。これが、バケーションバイブルスクール(VBS)の前身です。VBSの先駆者たちは、若者が聖書を知ることを強く願っていました。
ドア枠の慰め
ルイジアナ州南部が洪水に襲われた2016年、友人のSNSに書き込みを見つけました。彼女の家はほぼ全壊のようでした。彼女の母親は、どれほど片付けが大変でも、そこに神がおられると分かるはずよと励ましていました。後日、彼女はむき出しになったドア枠にみことばが書かれているのを見つけました。その家が建てられた時に書かれたのでしょう。友人はそれを読んで慰められたといいます。
心のオアシス
アンドリューは家族とサファリ旅行にケニアへ行き、低木林の中の小さな湖で、キリン、ウシカモシカ、カバ、水鳥などを見ました。皆がこの命の源である水辺にやってきます。彼は動物が行ったり来たりするのを見ていて、聖書は聖なる水飲み場のようだと思いました。聖書は、知恵や手引きの源というだけでなく、さまざまな状況の人の渇きを癒やし、元気を回復させるオアシスだと思いました。
鏡に照らして
心理学者が自己認識を調べるために「鏡の中にいるのは誰?」と子供たちに尋ねました。通常、幼児は1歳半ぐらいにならないと、鏡に映っているのが自分だと分かりません。しかし、成長すると、それが自分だと分かるようになります。自己認識は、正常な発育を知るうえで、重要な目印です。
再発見
デンマークを1970年に訪れた某自動車会社の重役は、1939年製のビュイック社のデュアル・カウル・フェートン(折りたたみ式の幌を備えたオープンカー)を所有している人がいると知りました。生産には至らなかった、唯一無二の車の発見でした。彼は喜んでそれを購入し、復元のために尽力しました。現在、この車は、世界的に有名なクラシックカーコレクションの一つです。
計り知れない富
火星と木星の間を公転している小惑星プシケの組成は、金、鉄、ニッケル、プラチナなどだと推定されています。お金に換算するなら、途方もない額になるでしょう。この豊かな資源はまだ手つかずですが、米国にはその鉱石の検証を目的とする探査機を送る計画があります。遥か彼方の莫大な富は、興味と欲望を駆り立てます。その宝を求めてプシケに向かおうとする人々がいずれ必ず現れるでしょう。