聖なる火
数年来の干ばつの後の山火事を、神のなさったことと考えた人がいました。この不穏な噂は、ニュース番組が「聖なる火」と呼んだことで増長しました。カリフォルニア南部になじみの無い人は、その場所がホーリージムキャニオン(聖なるジムの渓谷)と呼ばれていると知らな かったのです。聖なるジムとは19世紀の養蜂家で、あまりに不敬虔で険悪だったので、皮肉を込めてそう呼ばれていました。
美しい時
灰色の空に冬枯れの木々、薄っすら積もった雪の下にのぞく茶色い草。今日もうっとうしい真冬の景色が広がっていると思っていたある朝、珍しいことが起きました。霜が降りて、すべてが氷の結晶でおおわれていました。暗く生命感のない風景は、太陽の光でまばゆく輝く美しい景色に変わっていました。
注意力完全化
今日の技術革新はストレスも生んでいます。スマホで簡単にイン ターネットに接続でき、古今東西の情報を掌中に収められます。しかし、絶え間ないアクセスは、多くの場合、犠牲を伴います。作家リンダ・ストーンはそれを「継続的注意力断片化」と表しました。つまり、あれもこれも知らなければと思う衝動です。それは慢性的な不安につながります。
行くよー、はい、行った!
いたずら好きのアーティスト、バンクシーは、またもやってくれました。ロンドンのサザビーズ・オークションハウスで、彼の作品「風船と少女」が1億5千万円で落札された時、「落札!」という競売人の大声に続いて警報器が鳴り、絵は額縁に仕掛けられたシュレッダーに滑り落ちて、半分が短冊状になりました。バンクシーは「行くよー、はい、行った!」 とタイトルをつけ、呆然とする入札者たちの写真をSNSに投稿しました。
よろめくひざを強くする
子どもの頃、ある歌の曲名を「主は私の過ちでなく、ひざをご覧になる」と思いこんでいましたが、実際には「主は私の過ちでなく、必要をご覧になる」でした。神はなぜひざをご覧になるのだろう、ひざが震えているからだろうか、ひざが震えるのは怖い時だなど、子どもなりに知恵を絞っていました。しかし、後になって、この曲はゴスペルシンガーのドッティ・ランボが、過去の罪によって神に受け入れてもらえないと思いこんでいる兄弟のエ ディに、神の無条件の愛を伝えようと作ったことを知りました。神はエディの弱さをご存知の上で愛してくださることを伝え、安心させた かったのです。
豊かな人生
第一次世界大戦末期の1918年、写真家のエリック・エンストロムは作品集の準備をしていました。彼は、虚無感漂う世相の中、人生の豊かさを伝える作品を加えたいと思いました。それが、彼の代表作となった、食卓で両手を組み、こうべを垂れて祈るひげの老人の写真です。本とメガネ、粥のお椀、ナイフ、一斤のパンがあるだけです。
最大の謎
イエスを信じる前、伝道メッセージの説教を聞いても、なぜイエスが神と言えるのだろうと戸惑いました。聖書は、神だけが罪を赦せると教えているのに、なぜイエスは罪の赦しを提供できるのだろうと思いました。しかし、そのような疑問を持つのは私だけではないと、J.I. パッカー著の「神を知るということ」を読んで知りました。パッカー師は、多くの未信者にとって理解し難いことは、ナザレのイエスは完全な人でありながら完全な神である、というキリスト教の主張だと語ります。しかし、この真理こそが、人類を救うのです。
愛に行列はない
構ってもらいたいとき、愛犬、ラブラドール・レトリバーのマックスは、私の物を取って、見せびらかします。ある朝、机で書き物をしていると、私の財布を取って逃げ去りました。ところが、私が気づかな かったと分かると戻って来て、私を鼻で突っつきました。マックスは、財布をくわえ、目を輝かせ、尻尾を振って、遊ぼうと誘います。
亀と一緒に待つ
秋になり、冬の到来を予感するとニシキガメは池に潜り、腐葉土と泥の中に身を埋めます。首を甲羅に引っ込め、微動だにせず、心拍も消え入るほど遅くなります。体温は凍る手前まで下がり、呼吸も止まります。泥に埋まり、骨のカルシウムが血液に溶け出て外形が崩れ出すまで、6か月の間、じっと待っています。そして池の水がぬるむと、ニシキガメは浮上して、再び呼吸を始めます。骨は新たに形成され、甲羅は太陽の暖かさを感じます。