意外な場所に福音が
最近、ロサンゼルスのハリウッドに行きました。映画やテレビで数え切れないほど見た場所です。ホテルの窓からは、丘の中腹を横切って誇らしげに並ぶ、あの有名な白い巨大な文字が見えました。その時、別の物にも気付きました。少し下の左側に立派な十字架です。ただ、映画の中で見たことはありません。ホテルを出るとすぐ、私は地元の教会の学生たちに話しかけられました。彼らはイエスを伝えていたのです。
孤独な時
夕方7時、ホイリャンは台所で残り物を食べていました。すると、一家だんらんの笑い声が静寂を破りました。アパートの隣の部屋に住むチュア一家の夕食が始まったようです。ホイリャンは、妻が亡くなってから一人暮らし。今や孤独を道連れに生きることを学び、当初の刺すような痛みは、鈍い慢性痛になりました。しかし、なぜか今夜は、一つの茶わんと一膳の箸しかない食卓の光景に心をかき乱されたのです。
犠牲を忘れない
モスクワの聖会に招かれた時のことです。日曜礼拝の後に連れていってもらったレストランはクレムリンの近くで、着くとすぐ、婚礼衣装を着たカップルの行列に気付きました。それは城壁の外の無名戦士の墓に伸びています。彼らは、今日の幸せが誰かの犠牲の上に成り立っていることを心に刻んでいるのです。結婚式の花束を墓前に置き、その前で記念写真を撮る様子は、私には厳粛にさえ見えました。
新生させてくださる神
ショーン・セイプラーは出張で宿泊したホテルで妙なことが気になりました。使い残したせっけんはどうなるのだろう。ゴミとして埋められる以外の使い道があるはずだと。彼はリサイクルのベンチャー企業を立ち上げ、8千軒以上のホテルやクルーズ船、リゾート施設と協力し、膨大な量の廃棄せっけんを滅菌し、再生して、100カ国以上の貧困層に届けています。それらは、不衛生に起因する病気の予防に貢献しています。セイプラー氏は語ります。「面白いでしょう?あなたが使い残したホテルの小さなせっけんが、文字通り、人命を救うのです」
力ある神
ハリケーンの風が大河ミシシッピの流れを変えるという不思議なことが起きました。2021年8月、ハリケーン・アイダがルイジアナ州に上陸した時、川の水が数時間、下流から上流に流れました。
聞くことに始まる信仰
外傷によって声が出なくなった牧師のボブは、15年間、うつと戦いました。話せない牧師に何ができるのかという葛藤と深い悲しみを包み隠さず神に打ち明けながら。彼は語ります。「当時、すべきことが一つだけ分かっていました。神のことばを追い求めることです。私は聖書にどっぷり浸かり、人生をかけて吸収しようとしてきました。信仰は聞くこと、神のことばによって聞くことから始まるからです」。彼の神に対する愛は、聖書の熟読を通してますます大きくなりました。
一歩一歩
メンバー3人が1組で走る「三人四脚」競技に12チームが参加しました。真ん中の人と左右の人の足が、足首と膝で縛られゴールを目指します。スタートの合図と共に飛び出したほとんどのチームが転倒し、必死に立ち上がろうとしました。歩かずに飛び跳ねていくチームや、あきらめるチームもありました。しかし、たった1組、スタートは遅れましたが、脚運びを確認し、声を掛け合いながら歩くチームがありました。転びそうになっても前進し、やがて、他の全チームを抜いていきました。一歩一歩、協力し合うことで共にゴールしました。
自由に生きる
私の出身地テキサスの黒人たちは、6月19日をパレードやピクニックをして祝います。私はティーンになるまで、この祭日の背景である悲しい歴史を知りませんでした。1865年のこの日、テキサスの黒人奴隷は、リンカーン大統領が奴隷解放宣言に署名したことを知りました。しかし、実際の署名は、2年半も前のことだったのです。テキサスの奴隷たちは、解放されていたとは知らずに、2年半の間、奴隷のまま暮らしたのです。
声を上げる
力ある演説家の多くは、社会改革のために言論を用いた指導者でした。例えば、フレデリック・ダグラスです。自由と奴隷制度廃止を求める彼の演説は、アメリカの公民権運動を推し進め、やがてこの制度は撤廃されました。もし、彼が黙っていたなら、世界の歴史は違っていたかもしれません。私たちも皆、声を持っています。声を上げるなら、人を助けたり、正しい方向に周りを奮い立たせたりすることができるかもしれませんが、出る杭(くい)は打たれると思うと足がすくんでしまいます。しかし、そんなときこそ、勇気と知恵の源である神に助けていただきましょう。