信仰 | デイリーブレッド公式サイト  - Part 63

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救いの御手

ブロガーのボニー・グレイは、嵐のような悲しみに囚われたと語ります。最高に幸せだった時期に、突然、理由もなく、パニックや抑うつ感に襲われたのです。何とかしようといろいろと試してみましたが、やがて、その状況に1人で立ち向かえるほど自分は強くないと悟りました。彼女は次のように語ります。「あの抑うつ感が去るように、誰にも何も言わず1人で祈りました。信仰が弱いなどと言われるのが嫌だったからです。しかし、神は、痛みから目を逸らさせたり、自分で自分を責めたりさせたいとは思っておられません。私たちを癒やされたいのです」。彼女は、神の臨在に慰められ、癒やされていきました。神は、逆巻く大波から守ってくれるいかりでした。

嫌な臭い

以前、椅子でくつろいでいると、末娘が2階から降りてきました。そして、まっしぐらに向かって来るや、私の膝に飛び乗りました。ハグをして、おでこに優しくキスすると、娘はキャッキャッと声を上げました。しかし、すぐに顔をしかめ、コーヒーカップを厳しい目でちらっと見ると、真顔でこう言いました。「パパのこと、大好きよ。でも、パパの匂いは嫌い」

燃えるような愛

詩人、画家、銅版画職人のウィリアム・ブレイク(1757-1827年)は、45年間の幸せな結婚生活を送りました。彼と妻のキャサリンは、結婚式の日から彼の亡くなる1827年まで、夫婦で支え合って創作活動をしました。キャサリンはウィリアムのスケッチに彩色を施し、互いに対する献身で、長年の貧乏生活や他の試練を乗り越えました。病の床にあった最期の数週間でさえ、彼は絵を描き続け、最後のスケッチは妻の顔でした。キャサリンは、その4年後、夫の鉛筆を握りしめて亡くなりました。

心の問題

友人のガーナ人牧師は、土壁の小屋に立てかけた彫像にたいまつの灯りをあてて言いました。「村の偶像です」。彼は、毎週火曜日の夜、奥地の村を訪れ、人々に聖書を教えています。

遅延なし

アメリカ人牧師が西アフリカの小さな町の教会に到着しました。礼拝開始の午前10時はもうすぐなのに、中は空っぽです。待っていると、遠くから歩いて来たこの教会の牧師がようやく到着した12時半頃に、聖歌隊のメンバーやフレンドリーな町の人々が続々集まってきました。しばらくすると、機が熟して礼拝が始まりました。そのアメリカ人牧師は、現地の文化には背景や理由があることを理解し、「神に遅延はありません。聖霊が皆を歓迎してくださいました」と述べました。

満ち足りる

米国の公民権運動が1960年代に佳境を迎えたとき、指導者のキング牧師が暗殺されました。しかし、そのわずか4日後、妻のコレッタは、勇敢にも平和的抗議の行進を夫に代わってけん引しました。コレッタ・スコット・キングは、正義と公正を求めるあらゆる社会活動を積極的に擁護しました。

嘆きから賛美へ

モニカは息子が神に立ち返るように熱心に祈りました。彼の自堕落な生活を嘆き、外国まで彼を追いかけることさえしました。息子の状況は救いようがないように見えました。しかし、ある日、それは起こりました。息子が神と劇的に出会ったのです。やがて彼は、偉大な神学者になりました。その人はヒッポの司教、聖アウグスティヌス(354-430年)です。

新たなスタート

詩篇120篇は、最初の「都上りの歌」(詩120-134篇)です。巡礼者はエルサレムに向かう道で、それを賛美しました。ユージン・ピーターソンはこの詩篇を省察して、「当然と考えていたことが実はうそだった、という苦々しい気付きから、キリスト者の意識は始まる」と述べました。彼の著書『A Long Obedience in the Same Direction』(同じ方向に向けて長い間従順に従う)が語っているように、「都上りの歌」は、私たちの霊が神に向かって進む旅路を示しています。

普通の人々の集団

著名な哲学者のハンナ・アーレント(1906-1975年)は、「人間というものは、強大な権力を持つ君主に抵抗し、ひれ伏すことを拒める、と分かっている……一方、大衆に抵抗できる人は実のところほとんどいないと分かった。間違った方向に導かれている普通の人々の集団を前に、独りで立ち上がり、彼らの無慈悲な熱狂に対峙できる人はいない」と書きました。ユダヤ人のアーレントは、母国ドイツでこれを体験しました。