悲しみと喜び
近しい人を1カ月の間に3人も亡くし、アンジェラの家族は悲しみに暮れていました。おいが突然亡くなった後、アンジェラと2人の姉妹は、3日間、台所の食卓にじっと座っていました。動いたのは、骨壷を買い、宅配の食事をし、葬儀に参列した時だけです。しかし、死を悼む間、喜びに浸る時間もありました。それは、末の妹のお腹で順調に育つ新しい命の超音波写真を見た時でした。
回復させる神
イタリアのフィレンツェで1966年11月4日に起こった大洪水により、有名なジョルジョ・ヴァザーリの『最後の晩餐』は、泥水と油の中に12時間も放置されました。額縁は損傷し、絵具も浮き出て、絵の修復は不可能に思われました。しかし、専門家とボランティアが、あらゆる障壁を乗り越え、地道な修復作業を50年間続けたことで、この大作は復元されました。
希望を持って
戦線の父の消息が途絶えた時、7歳の妹は母に言いました。「パパは帰ってくるわ。だって花を贈ってくれたもの」。父が出発前に手配していた妹の誕生日の花束が届いたのですが、妹は正しかったのです。父は悲惨な戦闘をくぐり抜けて生還しました。彼女は数十年経った今も、希望を持つことを忘れないように、その花束を生けた花瓶を大切にしています。
聖霊だけができること
聖霊に関する本を書いたドイツの神学者で94歳のモルトマンにインタビューした人が尋ねました。「どうやって聖霊を活性化しますか。薬を飲むのですか。製薬会社がくれるのですか」。モルトマンはニヤリとして、訛りのある英語で答えました。「私は何もしません。聖霊が来るのを待ちます。すると、御霊が来られます」
小さいけれども偉大
ある大学の水泳選手はオリンピックを目指していましたが、タイムが上がらなくて不安でした。しかし、数学の教授、ケン・オノが彼女の泳ぎを観察して、タイムを6秒縮める方法を考えました。6秒とはオリンピックを目指すレベルでは相当な違いです。彼は選手の背中にセンサーをつけましたが、彼女の泳ぎを大きく変えるのではなく、小さな矯正をすれば、より効率的な水中の動作が可能になると明らかにしました。
イエスが答えだ
アインシュタインの愉快な話です。講演ツアーの運転手が、代役ができるほど講義を聴いたと言いました。そこで、アインシュタインは、顔を知られていない次の大学で試してみようと提案しました。運転手は同意し、やり遂げました。しかし質疑応答の時間に手ごわい質問が来ました。すると彼は「貴殿は優秀な教授とお見受けしますのに驚きです。私の運転手でさえ分かる単純なことを質問されるとは」と言い、その運転手、つまりアインシュタインが答えたという架空のお話です。
すべてイエスのために
有名な歌手B.J.トーマスは、すさんだ生活を送っていましたが、夫婦でイエスに出会って劇的な変化を遂げました。
平凡な日々の祝福
通勤電車になだれ込む人々を見ていると「憂うつな月曜日がやってきた」とため息が出ました。車両いっぱいの眠くて不機嫌そうな顔は、職場に行きたい人は一人としていないと思わせます。空いたスペースに割り込んだり、無理やり入って来る人がいたりすると、彼らは眉間にしわを寄せるのです。「ああ、また、平凡な1日が始まる」
夢ではない
離人感または現実感喪失と呼ばれる症状に苦しむ人は、覚めることのない夢の中で暮らしているようだといいます。何もかもが現実でないように感じるそうです。そのような状態が慢性的に続くと病気ですが、強度のストレスにさらされると誰にでも起こりうる精神状態だといいます。しかし、この感情は順風満帆の人にも起こりえます。良いことが本当に起こっているのに、どこかで信じていないのです。聖書にも、神の力と解放が夢のようで、現実なのに実感が伴わない、という出来事が記されています。天使はペテロを牢(ろう)と死刑の危機から救い出しました(使12:2、4)。しかし、当のペテロは、まるで幻覚を見ているようで、自分の身に起こっていることなのかどうかよく分からなかったといいます(9-10節)。外に出て天使が立ち去った時、ようやく「我に返って」、本当に起こったのだと気付きました(11節)。