キリストの共同体
バハマ諸島の南にラギッド島という小さな島があります。19世紀には塩業が盛んでしたがやがて廃れ、多くの人が近くの島に移住しました。その結果、2016年には住民が80人以下になりました。島には教派の違う三つの教会がありましたが、皆は毎週1カ所に集まって礼拝をささげ、交わりをしました。過疎の島で、共同体意識は不可欠だったからです。
神の御前にみな、平等
夫婦で休暇中に早朝サイクリングを楽しみました。大豪邸が並ぶ地区を通ると、そこにはいろいろな人がいました。犬の散歩をする人、サイクリングをする人、新しい邸宅を建てる労働者、地域の美観のために働く人などです。あらゆる社会層の人がいましたが、そこで大切な事実を再確認しました。私たちはみな、同じだということです。金持ちでも貧乏人でも、資産家でも労働者でも、有名でも無名でも。聖書が「富む者と貧しい者が出会う。どちらもみな、造られたのは主である」(箴22:2)と語る通り、異なる部分があっても、万人は神のかたちに造られたのです(創1:27)。
気晴らしと安らぎ
電源を切ってスマホを机に置きました。矢継ぎ早に現れる画像や意見、通知に疲れたのです。しかし、またすぐ電源を入れました。なぜでしょう。
試練を乗り越えて
アンの幼少期は極貧で悲惨でした。2人の赤ん坊の兄弟を亡くし、 5歳で目を患い視力をほぼ失いました。8歳で母を結核で亡くし、兄弟と共に父に捨てられました。貧民窟のような救貧院に入所し、そこで弟を亡くしました。
神に頼りなさい
友だちとウォーターパークに行き、浮き板の障害物コースに挑戦しました。浮き板は滑りやすく踏み込むと弾みがついて、まっすぐに歩けません。よろめきながら坂や崖、橋などを通っていく途中で無残にも水に落ちて大声をあげました。一つのコースを渡り切って疲れ果てた友人が一息つこうと「塔」に寄りかかった瞬間、その重みで「塔」はゆがみ、彼女は勢いよく水に放り出されました。
神は十分以上
エレンはクリスマス一時金に大喜びしました。更に、銀行がクリスマス・プレゼントとして1月分の住宅ローンを返金してくれたのです。彼女の家計は自転車操業だったので本当に助かりました。いろいろな支払いができた上に、クリスマス・プレゼントをして他人を祝福することさえできました。
神はあなたを忘れない
私は子どもの頃、切手を集めていました。祖父はそれを知ると毎日、職場に届く郵便物の切手を取っておいてくれました。そして家に行くと、様々な美しい切手でいっぱいの封筒を渡してくれました。ある時「どんなに忙しくても、お前のことは忘れないよ」と言いました。祖父はシャイで愛情を表立って表しませんが、私は深く愛されていると感じていました。
教会になろう
新型コロナ感染症の流行で人との接触が制限された頃、デイブとカーラは教会探しに苦労していました。カーラの「教会を見つけるには大変な時です」というメールを読んで、私も自分の教会の家族が恋しくなりました。そして「教会で『いる』のは大変な時です」と返信しました。コロナの時期、私たちの教会は形を変えて活発に動きました。近所で食料品を配給し、オンラインで礼拝し、一人一人の教会員に電話もして必要に応えたり祈ったりしました。私たち夫婦は、それらに関わる一方で、変わってしまった世の中で「教会でいる」ために、もっとできることはないかと考え続けました。
偏見と神の愛
ある人に「君は予想に反していた。大嫌いになると思っていたのに、ならなかった」と言われたことがあります。ずけずけとした物言いですが、実は友好的でした。私は彼の国に留学したことがありましたが、昔、私たちの国は敵同士でした。クラスでグループに別れて討論していた時も、彼は距離を置いているようでした。それで、何か失礼なことをしましたかと尋ねると、「全然。でも、そこなんだ。僕の祖父はあの戦争で戦死したから、君の国もその国の人も大嫌いだった。けれども今、僕らはずいぶん似通っているなと気付いて驚いている。友達になれない理由なんて無い」と、彼は答えました。