Category  |  キリストのように生きる

まことのもてなし

私の故郷のフィリピンでは、誰かの家に行くと「もうご飯食べた?」とよく尋ねられます。これは、訪問客に対する厚意と気遣いを示す言葉で、どんな返事をしようとも、何らかの食べ物がふるまわれます。フィリピンの人たちは、本当の思いやりは、お決まりの挨拶を超えて、目に見えるもてなしをすることだと考えています。

駐車場のもめごと

ドライバーが2人、駐車場で声を荒げ、どちらが進路妨害したかでもめていました。悲しいことに、それは日曜日の教会の駐車場のできごとです。2人は、たった今、礼拝で、愛や赦し、忍耐のメッセージを聞いたはずです。それなのに、頭に血が上って、全部忘れてしまったかのようでした。

神の大使館

チェコ共和国に暮らすルドミラは、夫を亡くした82歳の女性ですが、自分の家は「天の御国の大使館」だと語り、困窮したり傷ついたりしている人なら友人でも見知らぬ人でも喜んで迎えます。食事をふるまい、泊めることもあり、常に思いやりと祈り心で接します。聖霊の語りかけに頼って客人を助け、神がその人たちの祈りに応えるのを喜びます。

自信を持って決断する

世の中は、ティッシュペーパーから生命保険に至るまで、いくつもの選択肢を提供します。心理学者バリー・シュワルツは、2004年に『なぜ選ぶたびに後悔するのか』と題する本を書き、選択の自由があるのは良いが、過多になれば負担で、決断ができなくなると主張しました。ティッシュの選択で大失敗をする可能性は低いですが、将来のかかった大きな決断で迷い出すと、神経をすり減らしてしまいます。どうすれば優柔不断にならず、自信をもって決断し、イエスのために前進できるでしょう。

揺るがない信仰

ケヴィンは亡くなった父の遺品を引き取りに介護施設に行きましたが、手渡されたのは2つの小さな箱だけでした。彼はその日、人は大して持っていなくても幸せでいられると実感した、と言います。父のラリーは最期まで、屈託がなく、人に対して笑顔と思いやりを絶やさない男性だったからです。彼の幸せは、箱には入らない財産、つまり、救い主イエスを信じる揺るぎない信仰でした。

無いものねだり

アーロン・バーは下院の判断をかたずをのんで待ちました。1800年の米国大統領選挙でトマス・ジェファーソンと同数票を獲得し、自らの当選を期待しました。しかし、落選。彼の心は恨みにむしばまれ、自分の立候補を支持しなかったアレクサンダー・ハミルトンと数年後に決闘し、彼を銃殺しました。この殺人に激怒した国民は彼に背を向け、バーは不機嫌な老人として世を去ったのです。

どこにいても人を愛する

釣りをしている夫のそばで聖書を読んでいたときのことです。若い男性が近づいてきて、釣り餌を変えた方がよいと言いました。そして、私の聖書をチラっと見るや、自分は前科者だと言い、「神は俺のような人間の心配をしてくれるかなあ」とため息をつきました。私はマタイの福音書25章を開き、牢にいる人を訪ねることに関するみことばを音読しました。彼が、そんなことが書いてあるのかと言うので、神はご自分の子どもたちに対する親切を、ご自分に対する親切と見なしていると答えました(31-40節)。

すべての良きこと

金曜日の夕方に家族で見るニュース番組は、明るい話題で締めくくられます。例えば、新型コロナウィルスに罹患したレポーターが完全に回復し、他の患者の治療のために、血しょう成分献血を行った話題です。当時は、抗体の効果について結論が出る前で、多くの人が無力感に襲われていました。しかし、彼女は「可能性が無い訳ではないのだから、献血の痛みは大した犠牲じゃない」と思ったそうです。

歪んだ正義

プロ野球の2018年のシーズン中、チームのコーチが、ダッグアウト脇にいた少年に向けてボールを投げると、横から男性がそれをキャッチしました。その動画はSNSで瞬く間に拡散し、その人は集中砲火を浴びましたが、人々は事の全容を知りませんでした。実はその少し前、男性は少年がファウル・ボールを捕れるように助けたので、次にボールが来たら彼のものだと約束していたのです。残念ながら、その事実が報道されるまでに丸1日かかり、無実の人が悪口雑言にさらされました。