愛して従う
結婚式で「死が二人を分かつまで、あなたの夫を愛し、敬い、従うことを誓いますか」と牧師が問いました。私は夫となる人をちらっと見て「従う?」とつぶやきました。私たちは、互いに対する愛と尊敬に基づいて関係を築いてきたのに、これからは盲従するのかしら……。夫の父は、私がけげんな顔でその言葉をのみ込み「誓います」と言う瞬間をビデオに収めていました。
イエスさまが愛してくれたから
息子のザビエルが幼稚園児の頃、小さな手を大きく広げて「これぐらいママを愛しているよ」と言うので、私も両手を大きく広げて「ママはこれぐらい愛しているわ」と答えました。手を腰に当てて「僕が先だよ」と言うと、首を振り「あなたがお腹にいたときからもう愛していたのよ」と答えました。すると息子は喜んで「ママの勝ち」と言いました。私は「二人とも勝ちよ。だってイエスさまが最初に二人を愛してくれたから」と答えました。
理想のリーダー
英国の首相は、2022年7月、辞職に追い込まれました。求められる高い品性を欠いたことが理由でした。後任の首相もたった数カ月で辞職したのです。事の発端は、国会議員の朝祷会に参加していた保健相が、自らの品位に欠ける行為を神に示され、辞任したことでした。他の閣僚たちも次々に辞任し、首相も辞任を余儀なくされました。穏やかな祈祷会から驚くことが起きたのです。
新しい愛の命令
イギリス王室は、13世紀から続く伝統に則って、グッドフライデーの前日、洗足木曜日に貧しい人々に贈り物をします。その行為を表す言葉は、ラテン語の「命令」から派生します。そして、その祝すべき命令とは、イエスが十字架の前夜にお与えになった次の新しい命令です。「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハ13:34)
もう一段、進んだ愛
なぜ競合店を助けたのでしょう。ウィスコンシン州のレストラン経営者アドルフォにとって、それは同業者たちを励ますためでした。コロナ禍の営業規制の中、アドルフォ自身、苦境にありました。しかし、地元の会社の太っ腹な行為に触発され、自腹で30万円相当の食事券を買いました。それを来店客に贈り、近隣の別のレストランにも行ってもらうためです。彼の行為は、口先だけでなく行いを伴った愛でした。
キリスト者の勇気
シカゴの労働者が、19世紀末、ストライキをしました。メアリー・マクダウエルの住まいはそこから遠くありませんでしたが、彼らの劣悪な環境については無知でした。しかし、それを知ると地域に移り住み、改善を訴える代弁者となり、彼らの子どもたちの教育に従事しました。
見ず知らずの人を歓迎
ダニエル・ナエリの著書『悲しいことはなかったと同じ』は、彼と母、妹が迫害を逃れ、難民キャンプを経て米国にたどり着いた壮絶な実話です。面識の無い老夫婦が保証人になってくれました。彼は今でも、あの感動を忘れられないと言います。「信じられますか。私たちが悪人だったら、彼らは責任を負わされるのです。これほど勇敢で、親切で、無謀なことはありません」と。
イエスの靴で歩く
王様の靴を履いて歩くのは、どんな感じでしょう。アンジェラ・ケリーはそれを知っています。彼女は港湾労働者と看護師の下に生まれましたが、英国のエリザベス女王の晩年の20年間、衣装係を務めました。彼女の仕事の一つは、女王の新品の靴で宮殿の敷地内を歩くことでした。二人の靴のサイズは同じでした。これは、高齢の女王が式典などで長時間立ち続ける際の不快感を少しでも軽減しようという思いやりだったのです。
イエスのように愛する
ドン・ジュゼッペ・ベラルデッリは、イタリアのカスニーゴという町の司祭で「皆に愛された人」でした。いつも「平安で良い日でありますように」とあいさつをして町中を古いバイクで回り、人々のために精力的に働きました。しかし、晩年は健康問題を抱え、コロナに罹患(りかん)するとそれが悪化しました。地域の人たちは彼のために人工呼吸器を購入しましたが、病状が深刻になると、彼は人工呼吸器の利用を拒み、それを若い患者に使うようにと言いました。その決断に驚く人は皆無でした。他者に対する愛を賞賛され、皆に愛された人だったからです。