不屈のピザ
イブラヒムは12歳の時、西アフリカからイタリアに移住しました。イタリア語は一言も知らず、吃音(きつおん)に苦しみ、移民排斥のいやがらせも受けました。しかし、くじけずに頑張り、20代でピザ屋を開きました。トレント市のその店は、世界のピザ屋トップ50の一つになり、懐疑的な人々を納得させました。
落胆するな
私には母のドロシーが健康だった記憶がありません。1型糖尿病のために長年、血糖値が不安定でした。合併症で腎臓を患い、生涯、透析が必要になりました。神経障害と骨折で車椅子生活を余儀なくされ、視力も失いつつありました。
主のために使う
裁縫の殿堂という栄誉を聞いたことがありますか。2001年に設立され、「裁縫の教育と製品開発に新風を吹き込む革新的な貢献をすることで、家庭の針仕事とそれに関する産業に多大な影響を与えた」人々を表彰します。マーサ・プーレンは、2005年に殿堂入りしましたが、自分の強さ、ひらめき、祝福の源泉について公然と語るので「箴言31章の女性」と称されました。
もっと良いことはある?
エリックは20代前半でイエスの愛を知り、通い始めた教会で聖書の学びを助けてくれる人に出会いました。しばらくすると少年たちのスモールグループで教えなさいと促されました。
最もなさそうな
ハリウッド映画のスパイは高級スポーツカーを乗り回すかっこいい人ですが、実際は真逆だと元CIA長官のジョナ・メンデスは語ります。スパイは影が薄いそうです。平凡で目立たなく、人の記憶に残らない人が望ましいと言います。最高の諜報(ちょうほう)員は全然それらしくない人です。
思いやりを行動に
ジェームス・ウォレンは28歳の人材コンサルタントですが、ベンチを作っています。きっかけは地べたに座ってバスを待つ人を見て同情したからです。廃材でベンチを作りバス停に置くと、すぐに利用されました。地元の9千カ所のバス停の大半には座る場所がありません。そこで、もう少しベンチを作り、そこに「親切を実行しよう」と彫り込みました。「目標は?」と尋ねられると、「自分のできることで、人々の生活を少しでも良くしたい」と語りました。
予想外のことをなさる神
私たち大勢の大学生は頭を垂れました。講師は献身の祈りを導き、国外宣教に導かれていると感じた学生は前に出るように促しました。私は友人のリネットが席を離れる気配を感じました。彼女はフィリピンで主に仕える約束をしたのです。私は立つように促されませんでした。米国にも神を知る必要のある人たちがいるので、自国で神の愛を伝えたかったのです。ところが10年後、私は英国に移って、神に賜った隣人たちの中で神と人に仕えていました。神が予想外の冒険に招かれていると悟り、思い描いていた未来図を転換させたのです。
親切な行い
バレリーは流産で子を失い、ずいぶん経ってガレージセールをしました。地元の木工職人のジェラルドはそこでベビーベッドを買いましたが、セールの背景を知りました。そして、そのベッドで子どもの形見の品を作ってあげようと思いました。翌週、彼は美しい長椅子を贈りました。「世の中捨てたもんじゃないわ」とバレリーは言いました。 「こんな親切な人がいるのだから」
縁の下の力持ち
友人のミックは、開発途上国へ無料の医療を届ける「アフリカマーシー号」で働いています。病気を放置せざるを得なかった多くの人が、毎日、訪れます。テレビの取材が時折あります。彼らは医師や看護師たちが、口蓋裂を治し、内反尖足(せんそく)を矯正する様子にカメラを向けます。時々は、別の仕事をしているスタッフにもインタビューします。しかし、ミックの仕事に気付く人はほとんどいません。彼自身、考えてもいなかった配属先だったそうです。彼は、船の下水処理のエンジニアなのです。日々4万リットル近くの有害物質を含んだ水の処理は重要です。ミックが配管やポンプを管理しなかったら、医療船の活動は成り立ちません。