損はない
友人のルエルは高校の同窓会に行きました。マニラ湾に面した級友の豪邸に200名が集まったのですが、そこで引け目を感じました。彼は、田舎の教会の牧師として、長年、喜んで奉仕してきました。なのに、ダメだと知りながら、クラスメートの財力を羨ましく思ったそうです。「自分の学歴を使ってビジネスマンになっていたら、どんな人生だっただろうかと要らぬことを考えてしまった」と、私に告白しました。
見つかった喜び
海岸を散歩していると、金属探知機を使っている人と出会いました。「私は『指輪の達人』と呼ばれています。今年は、すでに167個見つけました」とのこと。名前入りもあって、遺失物として届けた後にネットに投稿し、引き取り手があったか確認します。何年も前に失くしたという人が来たこともあるそうです。彼は、そういう時の持ち主の顔を見るのがたまらないと言います。私も金属探知の経験はありますが、めったにしません。そう言うと、彼は「やらなければ、醍醐味は味わえませんよ」と言いました。
燃えるような愛
詩人、画家、銅版画職人のウィリアム・ブレイク(1757-1827年)は、45年間の幸せな結婚生活を送りました。彼と妻のキャサリンは、結婚式の日から彼の亡くなる1827年まで、夫婦で支え合って創作活動をしました。キャサリンはウィリアムのスケッチに彩色を施し、互いに対する献身で、長年の貧乏生活や他の試練を乗り越えました。病の床にあった最期の数週間でさえ、彼は絵を描き続け、最後のスケッチは妻の顔でした。キャサリンは、その4年後、夫の鉛筆を握りしめて亡くなりました。
しかし、わたしは言います
少年時代、「みんながどうかは分かった。でも、うちはね……」と、母によく言われました。日々の同調圧力に迎合しないことを教えたのです。大人になっても、周りに流されがちなことには変わりません。例えば、「前向きないい人とだけ付き合えばよい」と、最近は言われますが、「イエス様もそうするかしら」と、まず問うべきでしょう。
普通の人々の集団
著名な哲学者のハンナ・アーレント(1906-1975年)は、「人間というものは、強大な権力を持つ君主に抵抗し、ひれ伏すことを拒める、と分かっている……一方、大衆に抵抗できる人は実のところほとんどいないと分かった。間違った方向に導かれている普通の人々の集団を前に、独りで立ち上がり、彼らの無慈悲な熱狂に対峙できる人はいない」と書きました。ユダヤ人のアーレントは、母国ドイツでこれを体験しました。
獅子の穴から出る
タヘアとドーニャ夫婦は、危険を知りながらイエスを信じました。実際、タヘアは目隠しに手錠をかけられて連行され、棄教の罪で起訴されました。裁判の前、二人はイエスを裏切らないと誓いました。しかし、刑の宣告は驚きでした。裁判長はこう言ったのです。「なぜか分らないが、君を鯨と獅子の口から出したい」。タヘアは、神が働かれていると確信しました。さもなくば、裁判長が聖書を引用した理由を説明できるでしょうか(ヨナ2章、ダニ6章)。タヘアは釈放され、その後、家族と亡命しました。
小さな始まり
一般に「世界の七不思議」といえば、7つの古代建造物ですが、ブルックリン橋は、1883年の完成当時、8番目の不思議と言われました。しかし実際は、橋塔から橋塔に張られた細い1本のワイヤーで始まりました。やがて、各々5千本以上の亜鉛メッキのワイヤーをより合わせた巨大な4本の鋼索による吊り橋が完成しました。
あるがままわれを
表舞台に立つ前夜、彼女は眠れませんでした。障害と戦いながら学ぶ自分のために寄付を募るイベントが教会で開かれます。彼女は自分の資質や信仰を思い巡らし、その資格が自分にあるかしらと疑いました。翌日、不安なまま机に向かい、紙とペンを取り出して詩を書きました。この女性は若き日のシャーロット・エリオットです。その詩は後に賛美歌になりました。
全ての行動において
マルチン・ルターは、1524年、「商人たちには共通の原則がある……得をし欲を満たせるなら、隣人のことは気にしない」と述べました。それから2世紀後。米国ニュージャージー州マウントホリーの仕立て屋ジョン・ウルマンは、自身の信仰を商売に反映させました。彼は奴隷解放を支持し、強制労働を容認する企業の布や染料を使いませんでした。何をするにも、正しい良心のもと、隣人を愛し、清廉潔白に生きました。