静寂が必要
ウエストバージニア州グリーンバンクは、起伏に富んだアパラチア山脈沿いの小さな町です。何の変哲もありませんが、ある一点だけ違っています。住民142人全員がWi-Fiにつながっていないのです。グリーンバンク天文台の電波望遠鏡は常に作動しているので、これに対する電波障害を防ぐために、近隣ではWi-Fiや携帯電話の使用が制限されています。グリーンバンクは、北米で最も電波が静寂な地域といえます。
祈るときには必ず
マルコム・クラウトは、2021年、英国のエリザベス女王より、モーンディ・マネー(洗足日下賜金)を授与されました。当時、100歳。生涯で千冊の聖書を配った功績によるものです。彼は聖書を贈った全ての人の名前を記録し、その人たちのために常に祈っていました。
静寂の部屋
静寂を求める人に最適な部屋が米国ミネソタ州ミネアポリスにあります。オーフィールド研究所の無響室(反響の無い部屋)は、全ての音の99.99%を吸収し、「地球上で最も静かな場所」と呼ばれています。この部屋を体験したい人は、音の無い状態に精神がやられないように座ったままでいなければなりません。この部屋で45分以上過ごせた人は、いまだ無いそうです。
正しい行いをする
刑務所から手紙が来て驚きました。我が家では介助犬候補の子犬たちを預かっていますが、その1匹が「卒業」して、職業実習中の受刑者から訓練を受けていました。手紙は担当の「ジェイソン」からです。彼は過去を後悔しつつも次のように述べました。「スニッカーは、私が訓練した17匹目の犬で、最高です。犬に見つめられると、やっとまともなことができていると思います」
祈りと変革
旧東ドイツのライプツィヒのニコライ教会で1982年、月曜日の祈り会が始まりました。クリスチャン・フューラー牧師と一握りの人たちは、何年も、冷戦下の世界と抑圧的な東ドイツの体制の中で、平和のために祈りました。共産党は教会を監視していましたが、参加者が教会の門の外にあふれるまでは気にしませんでした。1989年10月9日、7万人が平和的な抗議デモに参加し、6千人の警察官が不測の事態に備えて待機しました。混乱は起こりませんでしたが、この日が分岐点だったと歴史家は語ります。ベルリンの壁が崩壊したのは1カ月後のことでした。世界の大きな変化が祈り会から始まったのです。
助けを求める
デビッド・ウィリスがロンドンの巨大書店の1階に下りて来ると、ドアが施錠されていました。閉じ込められたのです。そこで、「やあ、@Waterstones。お宅のトラファルガー広場店に閉じ込められています。助けてください」とツイッターに投稿しました。すると間もなく救助されました。
われらの避け所
そこは元々、バッファローが住む原野でした。やがてバイソンを追いかけてきた先住民の土地となり、次に入植者が来て牛を飼い、農耕を始めました。第2次世界大戦の真珠湾攻撃以後は化学兵器の製造場所になり、東西冷戦時代には、兵器の廃棄場所になりました。しかし、ある日、ハクトウワシの巣が発見され、ロッキーマウンテン・アーセナル国立野生生物保護区が誕生しました。コロラド州の大都市デンバーに隣接した広大な地域で、草原、湿地、森林を含めて65平方キロメートルの広さです。都会の自然保護区としては米国で最大の規模を誇り、黒足フェレット、アナホリフクロウ、ハクトウワシ、バッファローなど、300種以上の野生動物が安全に暮らしている場所です。
つながっている
マデレイン・レングルは、週1回、母親と電話していましたが、母親の晩年には、より頻繁に電話をかけました。ただ声を聞くためです。マデレインはまた、自分の子どもたちが電話をしてくるのも好きでした。時には真剣な話題を語り合うこともありましたが、電話番号が変わっていないことを確認するためだけということもありました。彼女は、著書『水の上を歩く』の中で「子どもが親に連絡するのは良いことです。神の子である私たちが、天の父なるお方に連絡するのは良いことです」と書いています。
恵みと変化
凶悪事件の犯人が終身刑になりました。独房の中の年月、彼のたましいに癒やしと改心が始まり、ついに悔い改めて、イエスを救い主と信じるに至りました。最近は、他の受刑者との交流が一部、許可されています。神の恵みにより、彼の証しによって、キリスト信仰に導かれる受刑者も出現しました。彼らもまた救われたのです。