Category  |  信仰

ウォークオン

ベン・マルコルムソンは、アメリカンフットボールの経験は皆無で、2007年のローズボウルを制した南カリフォルニア大学チームの「ウォークオン」になりました。「ウォークオン」とは、スポーツ特待生以外の選手のことです。彼はジャーナリズム専攻で、名門チームの過酷な選抜過程を当事者として書こうと決意しました。回想録『ウォークオン』は、こうして生まれましたが、信じられないことに、チームのポジションも獲得したのです。彼は、神の目的があるはずだと信じ、それを見つけようとしました。しかし、チームメイトは信仰の話には無関心だったので、がっかりしました。神の導きを祈ると、イザヤ書のみことばが示されました。神は「わたしのことば……は、わたしが望むことを成し遂げ、わたしが言い送ったことを成功させる」(イザ55:11)と語られたのです。このみことばに触発されて、ベンは匿名ですべての選手に聖書を贈りましたが、結果は再度の拒絶でした。しかし後年、悲劇的な死を遂げた1人の選手がその聖書を読んでいたと分かりました。そして、死の直前には、聖書の神を慕い求め、神と関係を築いていたことが分かりました。

主の見通しを信じる

知らない土地を運転していた時、GPSの指示が奇妙だと夫が気付きました。4車線のハイウェイに入った所で、そこを出て、併走する側道を進むように指示されたのです。渋滞もなさそうでしたが、彼は「信用してみるよ」と言いました。15キロ程進むとハイウェイの方は、渋滞でほとんど動かなくなりました。原因は道路工事でした。一方、側道はさほど混まず、ストレスもありませんでした。夫は「ここまでは見通せなかった。GPSには見えていたんだね」と言いました。私たちは「もちろん神様にも見えていたね」と、声を揃えました。

七面鳥から逃げる

田舎道でジョギングしていると、野生の七面鳥が2羽、前方にいました。どこまで近づけるかしら。私は足を緩め、止まりました。2羽は、こちらにずんずんやって来ます。成功と思いきや、鋭いくちばしで私の腰とお尻を突こうとしてきました。私が走り出すと、2羽は身体を揺らしながら追いかけてきました。やがて諦めてくれましたが、即座の形勢逆転でした。鳥が先手を取り、獲物がハンターに一変しました。私は鳥を完全にみくびっていましたが、襲われるかもと気付いて逃げ出したのです。

真の変化

ロンドン南部のいざこざの絶えない家庭で育ったクロードは、15歳でマリファナを、25歳でヘロインを売り始めました。しかし、表向きの職場だった若者支援の団体で、尊敬できる上司に出会いました。彼が信じるキリストをもっと知りたいと思い、キリスト信仰の入門講座に加わりました。そしてキリストを心に迎えます、と思い切って告白しました。「自分を喜んでくれる存在を感じたんだ。みんな僕の変化に気付いた。僕は世界一幸せな薬の売人だった」と言います。

怒りの心

ピカソの重要な作品『ゲルニカ』は、1937年、スペインの小さな町ゲルニカの崩壊を描いたモダニズムの壁画です。世界が第2次世界大戦へと向かう中、ナチスドイツの空軍は、内戦中のスペインで反乱軍支援のためにゲルニカを爆撃しました。この空爆により多くの命が奪われました。民間人を標的とした非人道的な攻撃は世界中で批判されました。この政治的な作品は、世界の人々の想像力をかき立て、人類には世界を壊す能力があるという議論が始まるきっかけになりました。

細部に宿る神

ケビンとキンバリーにとって、ひどい1週間でした。ケビンは持病が突然悪化して入院しました。幼い4人の子どもは、コロナ禍で外出できず、ストレスがたまって限界でした。まともな食事を作れる食材は冷蔵庫になく、奇妙なことに、キンバリーは無性にニンジンが食べたくなりました。1時間後、玄関扉をノックする音がして、戸口に夕食を手にしたアマンダとアンディがいました。しかも、ニンジン入りです。

喜びの理由

礼拝の後、グレンダが部屋に入ってくると、辺りが喜びで満たされたようでした。彼女は大きな病気を克服したばかりです。こちらに向かってくる姿を見て、主に長年の交わりを感謝しました。彼女はいつも共に泣き、間違いを優しく指摘し、励ましてくれました。私の気持ちを傷つけたかもしれないと思ったときは、きちんと謝ってくれました。私にとって、己の葛藤を正直に話せ、神を賛美する多くの理由があると思い出させてくれる人です。

言葉を超えた

トマス・アクィナス(1225~1274年)は、最も尊敬される神学者の一人でした。しかし、死のわずか3カ月前、生涯の研究の集大成だった『神学大全』の執筆を断念しました。救い主の砕かれた体と流された血について黙想していたとき、幻を見て絶句し、「もう書けない。私が見たものに比べれば、私の著書など藁(わら)のようなものだ」と述べました。

神が仰せられた

発明家のアレクサンダー・グラハム・ベルは、1876年、電話の実験に初めて成功しました。助手のトーマス・ワトソンに電話をかけ、「ワトソン君、ちょっと来てくれ」と言ったのです。雑音混じりで聞きづらいものでしたが、何と言ったのかは十分に分かりました。このベルの第一声は、人類の通信にとって、新しい時代の夜明けでした。