神の手番
スクラブルという手元の文字を組み合わせて英単語を作っていくゲームが好きです。友人たちが、私の名前にちなんでKATARA(カタラ)と名付けた打ち手があります。最下位だった私が、最後に7文字の単語を作って大逆転したときの打ち手です。以来、このゲームをするたびに、負けている人は当時を思い出し、KATARAの手番に希望を託します。
家庭で信仰の話をする
スター・ウォーズやライオンキングなどいわゆる不朽の名作の多くが用いる物話の展開方法を一言で表すなら、『オズの魔法使い』のドロシーの台詞「家ほどいい所はない」です。つまり、平凡な生活をしていた普通の人である主人公が、途方もない冒険に巻き込まれ、家を離れて試練の待ち受ける異次元の世界を旅するという英雄物語です。敵や仲間、賢者と出会いながら、試練を乗り越え、自身の勇敢さを証明すると、冒険話と獲得した知恵を携えて家に帰ります。家に帰るという点が不可欠です。
父の自死とそれからの私
世界中で毎年七十万人近い自死者がいると推定されています。その亡くなったひとりひとりには家族や友人がいます。著者アルバート・シー氏もその一人です。 ここには、遺された人がたどる悲しみや苦しみの道、その只中で神がどのように寄り添い、生きていく力をくださるのかが、正直に丁寧に記されています。
十分な時間
友人の本棚にトルストイの『戦争と平和』の全巻が並んでいるのを見て、私は全巻を読んでいないと告白しました。彼は笑いながら「定年で教職から退いたとき、『読める時間がやっとできたね』と、友人がプレゼントしてくれたのだよ」と言いました。
正当化しない
なぜ車を止められたか分かりますかと交通警察官が尋ねると、ドライバーは心当たりがないと言いました。そこで「運転中にスマホをいじっていましたね」と諭すと、「いいえ。見ていたのはガラケーです」と反論しました。「ながらスマホ」の禁止は、ガラケーなら大丈夫というわけではありません。法律はわき見運転を禁じているのです。
気前の良さと幸福感
研究者たちは、自分の財や時間を人のために使う人は、そうでない人よりも幸福感に富んでいると言います。「寄付を道徳上の義務ではなく喜びの源泉として捉えよう」と主張した心理学者もいます。
イエスはここにいらっしゃる
高齢の大伯母は病床にありました。白髪を後ろに流し、しわだらけの頬でしたが、笑顔でした。見舞いに行った私たちに、もう多くを語りませんでしたが、「寂しくはないのよ。イエス様がここにいらっしゃるからね」とささやいたことを覚えています。
はっきり言うという親切
親しい友人が私の目を見て「君は時々実際よりも敬虔に聞こえるね」と微笑みながら言いました。私はドキッとしましたが、声を立てて笑いました。優れた洞察力です。敬愛すべき友人の言葉でなければ傷ついていたでしょう。少々癇(かん)にさわりましたが、彼の正しさを認めざるを得ません。私は信仰について話すとき、わざわざ専門用語を使うようなところがあり、不誠実な印象を与えます。彼は、私のことを大切に思っているので苦言を呈してくれました。自分が純粋に信じていることを嫌味なく伝えられるように、私を助けてくれたのです。
確かな信頼という信仰
英国の成人は約12分に1回、スマホをチェックしている、という調査結果が2018年にありました。しかし、私たちがネット検索をしたり、メールやSNSの通知、電話の着信音に反応したりする頻度を考えると、これは控え目な数字でしょう。多くの人は、生活に必要な情報を提供し、予定等を管理し、人と自分を繋がらせてくれるものとしてスマホを信頼しています。